「心動く瞬間」それだけが、“生きている”時間だということ【フランス・リヨン】
チェックインをした後のこと。「僕は日本に行くのが夢なんだけど、外国人は、日本にいつ入れるの!?」ホテルの受付の男の子が、エレベーターに向かう私を追いかけてきて、そう尋ねた。なにかハプニングが合ったのかと思って、思わず笑ってしまった。
彼は生まれてから21年間、リヨンを出たことがなく、パリにも行ったことがないらしい。「日本が初めての旅になる」と、それはそれは嬉しそうに話してくれた。
フランスのパリから列車で2時間ほど、フランス南東にあるリヨンという街に一人旅に来た。「旅」というものが久しぶりで、パリからの列車の窓から見える景色がどんどん自分が知らないものになっていくことが、どうしようもなく嬉しくて、ワクワクした。なんの共通点もない人と言葉を交わせることが、泣きそうになるくらい懐かしかった。
リヨンは、私が住んでいるパリと比べると人が少なくて、セーヌ川と比べると、街を流れる川が透き通っている。美味しいレストランは納得のいく価格で、パリにないそれは、私を安堵させた。
世界遺産の街で、建物の一つ一つが本当に美しい。ヨーロッパの建築にほとんど興味がない私でも「美しいな」と、ため息が出るほどだ。
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「誰にも読まれなくたっていいから、文章を書きたい」。そう思えたのは、一体いつぶりのことだろうか。
東京とパリの2拠点生活をはじめたのは、昨年の12月から。パリに恋人が住んでいるからだ。本当に有り難いことに、日本での仕事を続けながら私はパリに住んでいる。
「フランスに行ったら、文章を書けるかな」
包み隠さず言えば、私はコロナ禍で家にこもっていた期間、「人生の空白の期間」だったのではないかと言えるほど、未来にこれっぽっちも希望を持っておらず、心がずっと停止したままで、ただただ時間だけが過ぎていく日々を送っていた。その間に辛いことがいくつもいくつも積み重なって、「なんのために生きているんだろう」と何度も思ったほど、心が弱っていた。好奇心もなくなって、何もしたいと思えなかった。
そんなときにある日、「恋人がいるフランスに行こう」と、思い立つ。
初めて住むパリは、それはそれは大変だった。なにがって、「恋人と初めて一緒に住むこと」が、である。
4年間も付き合っていても、ずっと遠距離恋愛をしていた私たち。生まれ育った文化も違えば、私も相手も頑固で、毎日のように喧嘩した。「幸せ」と「不幸」を行き来する、ジェットコースターのような毎日だ。お互い仕事も忙しくて、八つ当たりばかりしていたし、「私はなぜパリに来たんだろう」と思う日もよくあった。家出をしたことも1度ではない。泣いて怒って笑って、また泣いて怒って。
でもそのたびに、パリという街はやさしいのだ。重い荷物に手を差し伸べてくれる人。「良い週末を!」と、歌いながら私の横を自転車で駆け抜けてゆく人。飲み屋で恋人と喧嘩したと話すと、「パリジェンヌになる方法を教えるから、新しい男を見つけたらいいよ」と話すパリジャン(笑)。「パリはいいところだよ、恋人と喧嘩してる場合じゃないのよ!」と熱く語ってくれた、南仏からパリに旅行に来たと話すフランス人の女の子。
「ありがとう」や「ごめんなさい」をたくさん伝えると「何度も言わないでいいんだよ。あたりまえのことなんだから」と、たっぷりの愛をくれた、家出先のルームメイトたち。
パリは、「人を放っておかない街」だと思う。「人間臭い街」だと思う。「人の生活が見える街」だと思う。世界のどこを旅しても感じないような、「愛あふれる街」だと思う。
パリの夜道を歩きながらアパルトマンの明かりを見あげて、「どんな人が暮らしているのだろう」とよく想像する。世界中から人々が集まるこの街には、人が生きている。パン屋さん、お肉屋さん、チーズ屋さん、町の商店で、生きるために買い物する人たち。パリは、世界中他のどの大都市と比べても、生活感漂う街だと思う。昔住んでいたベトナムにも、よく似てるのだ。
そうしてパリを大好きだなと思うたびに、こんな世界を私に見せてくれた恋人のことを想う。私が人生に落胆しているときにいつも、全力で笑わせてくれて、新しい世界を見せてくれる人、だ。今やっと、こうしてパリのことを文章にできて嬉しい。ジェットコースターのような毎日でも、私は今、恋人とパリで暮らしていることを、心から嬉しいと思うのだ。
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「文章を書きたい」と、やっと思わせてくれたのは、パリではなくリヨンだったけれど。リヨンがそんな場所だったのか、夏休みがそうさせたのか。ジェットコースターの日常と、リヨンでの平穏な非日常のコントラストがそうさせたのか。はたまた、一人旅がそうさせたのか。
リヨンのスーパーでレシートが詰まる。店員さんを呼ぶ。店員さんは鼻歌を口ずさみながら私のもとに歩み寄る。「スーパーヒーローの登場だよ〜〜安心して」。
私の頬が緩む。
これだけで私は。ここに来てよかった、と、心底思うのだ。こんな小さな会話でも、人の心は動くのだと実感する。東京のゲストハウスで働いていたときに、思っていたこと。自分の小さな言動が、言葉が、文章が、誰かの心を動かすことがあるのだ。人生を救うことだってあるのだ。
ある本の一節だ。私は、もっともっと心を揺さぶらせて生きていきたい。ジェットコースターのように、泣いて、怒って。それがどんなにどんなに大変でも、その先に笑って、喜ぶことができるような時間があったらそれでいいや、とさえ思う。そうやって、心を動かして暮らしていきたい。
明日、私はパリに戻る。でも、早く雑多なあの街に戻りたいな、とも思う。そして、私を待っている恋人に、早く会いたいな、と、思う。
フランスに来て、よかった。