<新文芸坐×アニメスタイル SPECIAL アバンギャルドアニメの最先端>『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』上映後トークショー memo
会場:新文芸坐
開催日時:2022年12月3日(土)21時35分ごろ
出演者:古川知宏監督、小黒祐一郎さん(アニメスタイル)
先日、新文芸坐で『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』上映後に行われたトークショーをメモし、おこしたものです。
メモ漏れが多いですができる限り記しています。
私自身で解釈しながら書いている部分もあるので、指摘・訂正等がございましたらコメントのほうへお願いします。
以下、敬称略
登壇後
小黒:上映中、楽屋で待機していたら(スタァライト上映中の映画館からの)地鳴りがした。
古川:ここまで揺れていると大丈夫かな?と思い小黒さんに訪ねたら「ここパチンコ屋だから大丈夫(新文芸坐はマルハンのビル内にある)」と言われた。
長期に渡る上映について
古川:上映はマックスで3ヶ月で終了すると思っていた。困惑しつつも感謝している。
SNS等での反応を見ることはあったか。
古川:内容についてはそれほど見ていない。どういうリズムで作ればお客さんの感情を揺さぶれるかは観測していた。
作品の狙い
古川:映画館で映画を見るという体験・楽しさを意識した。
「何を見せられているんだ」というところは絶対にやりたかった。(特に冒頭とデコトラ・終盤は狙って作った。)
劇場版の製作にあたって、メーカーサイドからの細かい要望については薄めでそれもあって劇場のレヴューは枷を外して作ることができた。
ブシロードの懐の広さ、元ブシロードの武次茜プロデューサー(Production IG出身だそう)・キネマシトラス代表の小笠原さんに守っていただいたと作り終えて感じた。
劇場版は思った通りに作ることができた?
古川:尺の関係で技術面・脚本面ではやりたかったことはあまりできなかった。そのため間にあった説明を全て外した。
その際に映像のリズム・スピード、音楽でお客さんを強引に牽引できるかだけは意識した。
古川:「愛城華恋」というキャラクターをお客さんに届けたかった。読後感のいい映画にしたかった。
「インターステラー」のラストが好きで、本当は中途半端なカットで終わりたかったが、キャラクター・コンテンツを応援してくれる人のことを考えああいう形に纏まった。
「人の金でアニメ作ってる」ということはスタッフにも言っている。
作品に監督自身のメッセージ性は入ってくるか。
古川:作品を作っていく内に絶対に出てくることがTVシリーズと劇場版を作っていくことでわかった。
監督になりたくてアニメ業界に入った?
古川:アニメ監督になるために業界入りした。押井守、庵野秀明、幾原邦彦が原体験だった。
「明確に『監督と作品が紐づいている』監督」になりたいと思った。
明確に『監督と作品が紐づいている』監督の凄いところとは?
古川:(幾原監督を上記の例に)幾原さんは「幾原邦彦」であるだけ。
作家性の部分が第一にあり、アウトソーシングが上手い。
小黒:今は演出に求められる技量・仕事が多くなっていて、アニメ監督として作家性が出しづらくなっている。
古川:『劇場版スタァライト』は30~40代のメーカーのプロデューサー(視聴者に近い立場)の人からの反応が大きかった。「どうやったらああいうフィルムを作れるのか」という問い合わせが多くあった。
古川:幾原さんには70年代について散々マウントを取られた。自分も「旧劇エヴァ」を劇場で見たことで若手にマウントを取っている。なので皆さんも「劇場版スタァライト」を劇場で見たことでマウントを取ってほしい。(配信だと劇場で観た人と比べ「3割しか観てないことになる」とのこと・・・。)
これからの作品について
古川:予想を裏切り、期待に答えるにチャレンジしたい。
(今作のような)音が大きくてピカピカ光るアニメは60代になったら全く恥ずかしげもなくまたやる予定。
アイデアの引き出しはまだあるか
古川:引き出しはあるつもり、だけど出来上がるモノが同じになってる可能性がある。細田さん・新海さん・幾原さんも押井さんもみんな違う引き出しを開けてると思っているハズ。そこは実家の味だと思ってほしい。
小黒さんが『劇場版スタァライト』を「アバンギャルド」と評したことに関して
古川:この作品はアバンギャルドじゃないと思ってた。
小黒さんに言われてアバンギャルドという単語がこの世に流通してないことを知った。「この単語、死んでる・・・!アバンギャルドーッ!(作中のひかりのように)」
小黒:アヴァンギャルドでなおかつエンタメで投げたものが届いている作品
古川:令和初「商業アバンギャルドアニメ」
最後に
古川:企画当初は謎の敵を倒す内容だったが難しいと考え、キャラクター同士のぶつかり合いにしたいと変更を申し出るとメーカー側から軍服ベースの衣装でお願いしたいとオーダーが入った。自分のキャリアから「ウテナ」だと言われると確実に思ったが、当時の現場の力とフィルムの強度を考え腹を括った。
劇場版では「巨大な鉄の塊=電車」を出したいと思い、ここでも「ピングドラム」だと言われると絶対に思った。スタッフからも問われたが「ピングドラム」だから電車を出しているわけでなく、キャラクターを次の舞台へ運びたいと思ったために出した。幾原邦彦という単語と自分の作品を結びつける人を意識するより作品の強度を優先し腹を括った。そうしたら電車が加速していった(笑)。
自分が憧れた監督たちもどこかで腹を括った時があると思っている。
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