著者の猫好きが漏れ出している民俗学の本(『猫の王 猫伝承とその源流』(小島 瓔禮著)読書録)
猫愛が伝わってくる本が好きです。たとえば『ねこほぐし』や『猫語の教科書』、『猫語のノート』など。
書店をぶらついているときも、つい猫関連の本は手に取ってしまいます。
そんな感じで見つけたこの本。
表紙には正直かわいいとは言い難い猫又(河鍋暁斎筆)、文庫で全527ページというなかなかの分厚さ、参考文献もびっちり書かれた硬派な雰囲気……。
ですが、パラっと「はじめに」を読んで確信しました。これ、ネコちゃん大好き本です。
書き出し部分を引用すると、
まず、猫について語りたいあまり、犬をひとまずいないことにしてしまっています。なお、本文にはちゃんと犬もいます。
そして猫がかわいすぎて「かわいい」を2回重ねています。最高です。
それからも、猫の人なつっこさと野生味を併せ持つ様子を「二重猫格者」と表現してみたり、本書ができあがるまでの過程を猫の九つの命になぞらえてみたりと、著者の小島先生の猫トークが光ります。
かわいい招き猫や飼い主を慕う飼い猫から、人を襲う化け猫、猫又、それに猫を忌む言い伝えや文化まで、本書で扱われている猫伝承は多種多様。
猫と人のかかわりを知るためには、プラスもマイナスも避けては通れないのは承知ですが、この記事では、本の中のかわいいところだけ紹介します。
なぜなら私が楽しいから。
もっとしっかり猫伝承を知りたいという方は、ぜひ『猫の王 猫伝承とその源流』か、この基となった単行本『猫の王 猫はなぜ突然姿を消すのか』をどうぞ。
かわいいポイント1:伝承から猫の行動が想像できてかわいい
記されている伝承のなかには、元になった行動が思い浮かぶようなものもあります。今の時代だったら「猫あるある」として、SNSで話題になっていたのかも……と想像が膨らんだり。いくつか記述を抜き出してみます。
・鼠取りのために、お寺に雄の三毛猫を迎えた時の話
実家の猫も、よく寝てる人の上に乗っています。人間の体温が温かかったんでしょうね。
このエピソードは「(特に雄の)三毛猫が怪異とみなされていた」一例として出ています。
今の価値観だと「あらー、ミケちゃん一緒に寝たいの〜? お布団入る〜?」とデレデレしてしまうこと間違いなしですが、確かに寝込みを襲っている感じとか、金縛りに通じるものとか、想像できる節はあります。
寝苦しいのは確かですし、なんなら目も光っていたかもしれませんし。
・障子を自分で開ける猫の話
猫が猫又などの怪異になると、手拭いをかぶって踊り出したり、障子を自分で開け閉めしたりするようになるそうです。
踊りはともかく、扉を自分で開ける猫は現代でも数多く報告されていますね。
実家の猫も、引き戸を勝手に開けるようになっていました。ちなみに障子は開け閉めするより突き破ったほうが早いと気付かれてしまいました。
実家の猫の自慢はさておき、現代の「猫あるある」として「ひとりでドアを開けられるのに、人間がいると『開けろ』と要求してくる」というのがありますね。
ひょっとしたら、今の猫も実は怪異を身につけているけど、それを人間に知られないようにするために、ドアを開けられないふりをしているのかも……?
・家にお土産を持ってくる猫の話
かわいがっていた猫が家に何かしらを持ってきてくれる、という話がいくつか記されています。
「猫を手厚く葬った人のもとに、猫の霊が夜な夜なほかの家からいろいろな品物を(盗んで)持ってきてくれた」(p.225)
「ある家の飼い猫に、いつも餌をやっていた魚屋がいた。その魚屋が患って商売ができなくなってしまった時、猫は自分の家から金子を取ってきた」(p.234)
など。
おそらく猫が「お土産」を飼い主に見せにくる習性からなのでしょうね。小判はキラキラしていて手頃な大きさで、いかにも猫の気を引きそうです。
言い伝えられている以外にも、ネズミやセミなどを「お土産」として持ってきたり、元気なときに他所の家のものを持ってきて飼い主さんが謝りに行くことになったり、といったケースがあったんだろうな……と想像できるのもかわいいポイント。
ちなみに実家の猫は完全室内飼いなので、幸か不幸か「お土産」を持ってきたことはありません。
・鉄砲の弾を数える猫の話
「猫の見ている前では鉄砲の弾を作ってはならない」という猟師の言い伝えが紹介されています。猫が弾の数を覚えて、猟師が弾を撃ち尽くしたタイミングで魔物になって襲いにくるから、という理由だそう。
「猫が弾を数える」というのは、猫が弾をチョイチョイとつつく仕草から来ているように思えます。
猫にとって格好のおもちゃのサイズですが、猟師にとっては大事な商売道具。悪戯をされるわけにはいかないという実用的な理由もあったのでしょうね。
・赤子の泣き声をたてる猫の話
「八丈島には、猫が赤子の泣き声をたてていたという話がある」(p.480)という記述があります。
とてもよくわかります。特に春の恋猫の「あおーん、わおーん」という鳴き声は、産まれたての赤ちゃんが泣いているかと思うほど。
猫が赤子を奪う話や、猫と女性との強い結びつきを示す世界各地のエピソードも、猫の鳴き声から出てきた伝承なのかも……? と考えてみたくなります。
かわいいポイント2:猫好きな人間のエピソードがかわいい
民俗学の視点から猫を扱う本書は、猫とかかわる人間の話も数多く出てきます。その中でも、猫をかわいがる人間の話はほほえましくて可愛らしいです。
・日本の猫と中国の猫(唐猫)の見分けかた
中国から鎌倉のあたりへ渡ってきた「唐猫」と、もともと地元に住んでいた猫の見分けかたについて。
猫はなでるもの。
猫を見たらとりあえずなでてみる人間も、なでられる日本猫も唐猫もかわいいですね。
・猫を手放さざるをえない人の葛藤
年をとった猫は、化けて人に害をなす前に山(猫だけが暮らす猫岳)へ送り出すという風習があったそうです。
その際には「つなぎ銭二つに大きな握り飯と魚を背負わせて送り出す」(p.87)のだそう。せめて道中でご飯に困らないように、お弁当を食べ終わってしまったら買い物もできるように、という思いが見えてきて、切なくも愛おしいです。
同じように猫を送り出す儀式として、小豆飯を食べさせてやるところでは、猫が涙を流して食べると伝えられているそう。別れを惜しむ人間の気持ちが仮託されているように思えます。
また「長崎県の壱岐島でも、家の主人が死ぬと、猫は捨てなければならないとされ、ちょっとそこらに捨てるまねをするという。」(p.311)という、なんとも趣深い文章も。
「帰ってきちゃったならしょうがないねー。またうちの子になろうねー」という感じだったりしたのでしょうか。……さすがにもうちょっと深刻にやっているような気もします。
・「東海道五十三次」の猫パロディ
この本を読んで、歌川国芳が「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)」という作品を描いていることを知りました。
「東海道五十三次」に登場する宿場の名前を、猫に関する言葉にもじっています。
ウィキメディア・コモンズに画像があったので、ぜひご覧ください。かわいいです。
私のお気に入りは「じゃらすか」(白須賀)と、「ふくろい」(袋井)、「こたつ」(草津)です。
・猫と語らい、猫と遊ぶ人々
たとえ猫が不思議な力を持ったとしても、人と猫が良好な関係と距離感を保つことは可能です。
「体調を崩した飼い主を気遣って、仲間猫からの踊りの誘いを断る猫と、いいから行ってきなさいと猫を送り出す飼い主の話」(p.136~137)や、「飼い猫に対して『精のあるものならば、育ててもらった恩に報いてもよいのに』とこぼしたところ、本当に恩返しをしてもらった豪徳寺のお坊さんの話」(p.208)、「猫と遊んでいるうちに飛行自在の力を得たおばあさんの話」(p.450)などなど。
豪徳寺の猫ちゃん、健気でかわいいですね……。
そして私も猫と遊んで神通力を得たいです。ついでに言うと、イギリスでは「ハロウィーンには魔女がぶち猫に乗って道を走り回る」(p.50)という伝説があるとのこと。私も猫に乗って走り回りたいです。
かわいいポイント3:著者の猫愛あふれる筆致がかわいい
冒頭に紹介した「はじめに」のとおり、この『猫の王』では、随所から「猫好きが書いてる……!」というのが伝わってきます。特に猫の描写がかわいらしいのです。
はい、いつもお世話になっています。「猫は人間のことを大きくてどんくさい猫だと思っている」みたいな説もありますね。近い内容の記事がナショナルジオグラフィックにありました。
猫は妖精、猫は可憐。
ところどころに使われているオノマトペがかわいらしいです。
猫の踊りには手ぬぐいがつきもの、というところは、頭にかぶさった手ぬぐいを取ろうとして頭の上をパタパタしている様子からの連想なのかも。
また、本物の猫に加えて、招き猫に対してもすてきな眼差しが向けられています。
小島先生のお宅に招き猫がいる情報、本題には関係ないはずなのですが、どうしても書きたかったのでしょうね。
雑多なコメント・感想など
ここからは猫・猫以外を問わず、『猫の王 猫伝承とその源流』で気になったところを列挙していきます。
・行ってみたい猫スポット
根子岳(猫岳):熊本県阿蘇
豪徳寺(招き猫伝承のある猫寺):東京都世田谷区
自性院(猫地蔵をまつる猫寺):東京都新宿区
田代島(猫神社がある猫の島):宮城県石巻市
猫薬師:鳥取県、鳥取市湖山町
猫祭り:ベルギー、イープル
虎節・猫節:中国、麦地冲
・ヴァンパイアに関する言い伝え
「ヴァンパイアは、自分の胸の肌を吸うか、自分の体をかじるかして、もっとも近い親戚の人の生命力を侵し弱らせ、死にいたらしめるという。」(p.306)
→ 「自分の胸の肌を吸う」って、どんな体勢なんでしょうか。首が伸びそうです。
また、「猫が銃弾を数える」とからめて、文中に『セサミストリート』のカウント伯爵が登場します。そういえば吸血鬼対策のひとつに「豆をばら撒いておくと、吸血鬼はそれを数えずにはいられないので足止めできる」というのがありましたね。
・なかなか衝撃的な「猫かぶり」の由来
招き猫は、かつては特に花街や水商売の家、妓楼などで多く迎えられていたとのこと。そしてこんな文言も。
……今度から「猫をかぶる」と聞いたときに色々なものが頭をよぎりそうです。猫をかぶっている本体部分って、つまり……。
あまりに衝撃だったので辞書を引いたところ、『明鏡 ことわざ成句使い方辞典』では、「うわべを猫のように柔和によそおうことからいう。」と説明がありました。
もしかしたら諸説あるのかもしれません。
・徳島県のお寺の話
徳島県の滝寺というところの猫エピソードの語り出しが、「猫がお茶を入れるようになった。」(p.268)でした。
続けて、化けるようになった猫がお寺の名を上げるために活躍する話が語られるのですが、とにかく1文目が気になって仕方ありません。
お茶、お坊さんにあげるのでしょうか、自分で飲むのでしょうか。猫舌だからだいぶぬるめだったりするのでしょうか。
・ドイツのおばあちゃんはおちおち外出もできなかったかも
ドイツのシュレスヴィッヒ=ホルシュタインの言い伝えとして、よそへ行くときに「途中で年老いた女にあったり、野兎が斜めに横切ったり、あるいは猫に出会ったりしたら引き返せといい、そうしないとふしあわせになるともいう」(p.390)と紹介されています。
おばあちゃん、野兎や猫と一緒にされてます。
同書には、魔女が野兎や猫に化けるという伝承も載っていることから、魔女を避ける手立てだったのかもしれません。……それにしてもですが。
これまでに親しんできた昔話の共通点が見えてきたり、猫伝承から実際の猫の行動を思い描いたり。
過去から未来へ、エジプトからユーラシア大陸を渡って日本へと、壮大なスケールで猫のかわいさとしたたかさを噛み締められる一冊でした。
この記事が参加している募集
当面、サポートいただいた額は医療機関へ寄付させていただきます。 どうしても稲見晶のおやつ代、本代、etc...に使わせたいという方は、サポート画面のメッセージにてその旨ご連絡くださいませ。