前捌きはできているか。後裁きになっていないか。
叱るってホントに役に立つことなのでしょうか。
相手をどうにかしようとしてもどうにもならない、自分の思っていることが相手に伝わらないから、叱ることに頼ってしまっている例が多いと感じる。
相手の信念に反することであれば、たしかに伝わりにくい。
そうではなくて単純に、自分の伝え方が悪くて相手に伝わらないというのなら、どうですか。それで身勝手に叱ってしまったら、関係が深まるとは思えません。
①「叱るから、伝わる」
②「叱らないと、分からないだろう」
というのは、本当なのでしょうか。
叱ると度合いがつたわる
叱ることによって本気度がつたわりやすくなるが、本気度がつたわったとしても、必ず温度差が生じる。
その温度差というのは、個人差。同じにはなりません。
①真夏にホットコーヒーを飲む人もいる
②冷たいコーヒーをさらにタンブラーに入れて冷やして飲む人もいる
その人がそのときどう感じるかはその人次第なのではありませんか。
認識のちがいと言えます。
それを自分だったらこうだと相手に強くぶつける必要があるのでしょうか。
「本気度の見えない相手に向かって叱る」
相手が努力していないように見えるのなら「違和感がある」ということです。
なぜ相手から違和感を感じるのか。本気度が感じられないのか。
自分と相手との立場が違うからなのではないか。
バックグランド、生きてきた環境、考え方、常識が違うのではないか。
それは自分がどうにかできることなのか。
(ここで、心理的な壁、バウンダリーを感じる必要があると思います)
そうではないとしたら、自分に何ができるのか。相手に何ができるのか。
それを考えていくと、叱ることに意味があるのかどうかにたどり着きます。
「コミットする」というカタカナ言葉があります。
これは、深く関わる、責任をもって実現できるように努力する、といった意味があるはずです。
自分の責任範囲になると認識した場合に使われる言葉だと思います。
結局のところ、叱るというのは、相手に変わってほしいと思ってる。
どう変わってほしいのか。
相手にコミットしてほしい。
本当は、結果を出せるように責任をもって取り組んでほしいと思っている。
ということですね。。
相手の活躍を願っているのに関わらず、叱ってしまう。
(叱ったり、不機嫌な態度を示すというのは、相手の脳にストレスを与えます※)
そこに何か裏があると思います。(搾取的な快感なのだそうです)
「叱る」を防ぐためにできることはないのか
デデン!!!
ありますよ。
叱るというのは「後裁き」と言われています。
その反対に「前捌き」という言葉があります。
「自分だったらこうする」というのは相手とは認識がちがいます。
自分と相手とのあいだに認識の差がある。
その差を埋めるにはどうしたらいいか。
①事前に準備をしておくこと(必要な説明を省略しない)
②相手はどんな人で、どうしたら伝わるのか
これを意識したら、まず自分の伝え方を変えないとダメだと気づけるはずです。
相手に伝えるのを省略して、成功に導くのは不可能
こう思ったのは、きっかけがあります。
今週、仕事で2つの取引先でその会社の社長と面会する場面がありました。
それぞれ100人以上の従業員を抱える、忙しい立場の社長が
わざわざ直接、説明をしてくださった。
①社長のお仕事を引き受ける
②社長の説明を受ける
③自分の仕事を進める
という場面でした。
仕事を進めていてトラブルがおきた場合、社長の責任範囲になります。
だから、その社長は丁寧に漏れなく、説明を施したんです。
これがコミットするということだと理解しました。
その社長は認識のちがいを防ぐために、説明を省くことができないと判断したんだと思います。
そして、説明を省略した結果として、叱るという後裁きがおこるのなら
コミットすることが事前準備になる(前捌き)と言えるのではないかと思うんです。
前捌きをすれば、ほとんど後裁きをしなくて済む
①事前に防げたら良かったのではないか
②ロスになっていないか
③(誰かのミスに対して)私ならこうならない
そう思うのなら、責任をもって説明をする、「前捌きを徹底する」必要があるのではないかと思います。
最近になって、「前さばき」、「後さばき」という言葉を知り、これは考えるのに有用な言葉だなと感じています。
①後裁きになっていないか、
②前捌きはできているか、
この2点をしっかり意識するようにしています。
仮に、「後さばき」が必要になっても、それは次のために必要なのであって、「後さばきだけど、前捌きでもある」のではないかと思います。
①後さばきを後裁きにしてはいけない
②後さばきで終えるのではなく、前捌きにする
叱ることの即効性に注目してふんぞり返るのではなくて、
次につなげるためなのだという認識を捨てない、忘れないようにする。