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あいつはあぶないから話しかけるの止めとこう

 深夜にコンビニに行った。時間は23時を少し回ったくらいだったかな。
 東京の都心部ではあるが、所謂「閑静な住宅街」ってところに住んでいる。だから近所にはスーパーが1軒しか無い。
 その唯一あるスーパーも21時には閉まるので、仕事で遅くなった日や夜に飲み物なんかが必要になった時には必然的にコンビニに駆け込む事になる。
 これが不満であり結構不便なところだった。

 そんなわけでその日は牛乳とサイダーを買いに深夜にコンビニに行った。
「そんなもん明日でいいじゃん」とお思いだろう。
 が、ウチには牛乳が無いと朝だろうが夜だろうがキレ散らかして泣き叫ぶ子供がいるのだ。彼ら彼女らにはものの道理というものが通用しない。常識という言葉は小さき子らの前ではまるで意味をなさないのだと、この数年で身をもって知った。
 財布と携帯とエコバッグだけを持って目指すは徒歩5分のコンビニへ。さすがは「閑静な住宅街」。一方通行どころかバイクが通れるかも怪しい小道や街灯が少なすぎてぽっかりと暗闇が広がる光景は、「閑静」を通り越してちょっとした「不安感」を煽る。
「ここ…都心部だよね?」
そんな言葉がついつい零れてしまう。

 コンビニの自動ドアをくぐると、ムワッとした何とも言えない空気に包まれる。揚げ物の油の匂いと、本や雑誌の紙の匂いと、暖房の効きすぎた空調が混ざり合って停滞しているあの空気。だけど入ってしまえばすぐに慣れてしまうあの不思議な空気が、私は結構好きだった。
 カゴを持って雑誌コーナー横をフラフラ。店内には店員さん2人と、私と、あとは仕事帰りのOLさんの4人のみ。私が本棚に並ぶ雑誌を一通り物色していると、「ピンポーン」と入店音が響いた。反射的に振り返ると、そのお客さんと偶然目が合った。
 40代後半から50代前半くらい。8割白髪になったボサボサ髪に眼鏡、スーツ…の上に色あせたモッズコートを着たオジサンだった。さながら「踊る大捜査線」の青島のようないで立ち。顔立ちは『検察側の罪人』の松倉役を演じた酒向芳さんを彷彿とさせる異様な雰囲気なので、正しくは現場に疲れ切って搾りカスになった青島…ではあるが。このオジサンは仮に「青島(仮)」としよう。
 1秒ほど目が合って私の方から逸らした。背筋にゾゾゾっと恐怖を感じたからだ。血走っているのに焦点の合っていないギョロリとした瞳が眼鏡の奥から私を一点に見つめていたのである。
 まったく自慢にならないが、私は生まれてから現在まで所謂「ヤバい人」によく遭遇する。そんな経験則から見ても、この青島(仮)は一目でヤバイと分かった。
 私は相手に気付かれないように何事もない体を装ってすぐさまドリンクコーナーに逃げ込んだ。サイダーを3本カゴに入れて、流れるように乳製品コーナーへ移動。角を曲がる度にチラリと後ろを振り返る。すると、商品棚の隙間から青島(仮)がジッとこちらを見つめている。私と目が合った事に気付くと、青島(仮)は露骨に別の商品を見ているフリをする。その芝居が下手すぎて、余計に恐怖感を倍増させてくるのである。
 狭いコンビニで唐突に私と青島(仮)との「だるまさんが転んだ」が始まった。青島(仮)が私を追う、目が合うと逃げる、を2~3回繰り広げていても店員さんはまったく気付いていない。「これは埒があかん」とレジに並ぶと、私の後ろにOLさんが並んだ。そしてその後ろに青島(仮)が続く。というか青島(仮)、嘘でもいいから商品を手に取れよ。なんで手ぶらなんだよ。
 会計を終えると私は商品を手にして足早にコンビニを後にした。半ば逃げる形だった。真っ暗な道を足早に駆けていると、10メートル後ろから足音が響く。スマホを耳に当てて通話するフリをしながら外カメラを起動させると、画面にはコートを靡かせて走る青島(仮)の姿が映っていた。なんと少女走りである。お前はジブリのヒロインか!
 そんなこんなで徒歩5分の家路を小道を駆ける事10分。わざとかく乱するように違う道を走っていたが、曲がっても曲がっても男はひたすらに追いかけてくる。日ごろの運動不足がたたって息が切れてきた。青島(仮)との距離が近づく。その距離わずか5メートルほど。警察に電話しよう──そう思ってスマホをタップした。

「大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫 大丈夫だよねぇ…」

 突然、閑静な住宅街に大音量で大槻ケンヂの声が鳴り響いた。筋肉少女帯「蜘蛛の糸」である。
 振り返ると、青島(仮)も突然の事に固まっていた。またしても男と目が合う。その目は驚きと動揺で揺れていた。
 住宅街には未だに大音量で曲が流れ続けている。

「友だちはいないから ノートに猫の絵をかく」
「友だちはいないから やせた子猫の絵をかく」
「同じ会話に夢中で 同じ調子で笑って
くだらない君たちの中で ボクは貝のように黙った」
「あの人は暗いから 話しかけるの止めとこう」
「あいつはあぶないから 話かけるの止めとこう」

 その辺りで青島(仮)が後ずさって、やがて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
 私は緊張の糸がとけたように、へなへなと腰が抜けてしまった。落ち着くまで街灯の無い薄暗がりの路地で休んでいると、次第に頭が冷静になってきた。なんだかなあ、である。
 つまり青島(仮)にとって私は「あいつはあぶないから話しかけるの止めとこう」って事なんだろうか……。余計なお世話だ!

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