柔らかい「導かれ力」をもった人が最強

「◯◯力(りょく)」というタイトルの本は読まないことにしている。
目に入った瞬間は「ほほお、今はそういう時代なのか」と思うけれど、次の瞬間狐に化かされたような雲の真ん中に顔を突っ込んだような、ふんわりとした気持ちに陥る。
本文を読んだところで、結局良く分からないことが多い。
結局◯◯力が大事だ、時代を生き抜くのだ、とペーパー越しに息をまかれたところで、力が大事なことはいつの世も不変で、下手な書店に行くと棚のあちこちから強くなれ、このスキルも忘れるな、と脅迫されるので気が気ではない。

※読んだことない

マーケターではどうだろうか。
自分に最も身近なマーケティングであれば、「◯◯力」に少しでも親近感がもてるかもしれない。
マーケターにはどんな力が必要だろうか。

・数字を読み解く力
・人の心を理解し、動かす力
・プロジェクトを管理する力

…10分ほど考えてみたが、たった3つしか思い付かなかった。
私には一生本など書けはしないのかもしれない。
(幼い頃の夢は作家で、今もあんまり変わっていないようなものなので上記の一文は私にひどく絶望を与えるのだった。)

「数字を読み解く力」と「プロジェクトを管理する力」は「人の心を理解し、動かす力」を導き出すためと考えてしまうのは、少し古い考え方なのかもしれない。
人が動くならば、データの解釈も大規模プロジェクトのハンドリングも結局は不要、と思ってしまう。
管理職でもないのにコーチングにまつわる本を手にとったのは確か社会人2年目のことだ。
「コーチング」を人を動かすための円滑なコミュニケーション術と、自分の悩みと欲望に都合の良いようにすりかえて、部下との面談シミュレーションをしていた。

湯船の中、湯気でふやけたページをめくりながら思った。

「どうして、コーチングされる側の教科書はないのだろう?」

コーチングは、もちろん相手を相手自身が打ち立てた目標に対して、思考や考え方の癖を解きほぐしながら、整理したり内省を促す技術だ。
けれど、コーチングを「正しく」受けるのにも、汚いところを認める自己内省力や、未来に対して希望を抱く楽観力、構造化されていないものを紡ぐ言語化力、相手と自分を上手に分離して捉える自律力など、かごに入りきらないくらいの力が必要だと思ったのだ。
(あ、「◯◯力」って使ってしまった…)

もしかすると、コーチングそれ自体がコーチングを素直に受け入れられるよう導いていく工程を含んでいるのかもしれない。
しかし、周囲の働いている人を見るとコーチングを成果に変えられる人、変えられない人がいるのだ。
これは短期の成果と必ずしも直結するわけではない。
ただ、中長期的な成長の確度とは密接に関係していると感じる。
そこには明確な差異がある。

正しく悩む。
相手の主張を一度受け入れて、バウンスしている自分を感じる。
さまざまな可能性を探索する。
信じて、踏み出してみる。
これが所作として、仕事におけるベーシックな身振りとして身に付いているだろうか。

※唯一好きだった「◯◯力」本の1冊。
ひたすら悩んでいても、いいんだと思える痛快さがあったのを覚えている。

昨今はパワーハラスメント、アンガーマネジメントなど、職場で他者を叱る、指摘をすることが相手の認識とずれた瞬間に、人と人の関係性を失いかねない時代になっている。
ちょっとした踏み込んだコミュニケーションが圧倒的に大きなリスクをはらむ。
他者を導ける人だけが、スターマネージャーへと駆け上がるのだろうか。
時に優しく時に厳しい人だけが、他者に慕われ、尊敬されるのだろうか。
本当にそんな人は存在するのだろうか。

良い指導者像、マネージャー像が独り歩きしている今だからこそ、問いたい。
私は、導くに値する人間か。
あなたは、導かれ力のある人間か。

真に迫るフィードバックを引き出せる、言葉の真の意味を読み解く「聞き手」が今こそ必要なのではないだろうか。

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