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右折ヤクルトレディ記念日

実に3ヶ月ぶりの運転となった本日の路上教習。
何気に路上に出るのも初で、非常にめでたい日となった。本日3月19日は右折ヤクルトレディを避けたから、右折ヤクルトレディ記念日。

免許を取得しないまま社会人になってしまった私が、今回なぜ運転免許を取得することになったか。
理由は明確、業務上必要となったためだ。そうならなければおそらく一生運転免許を取らなかっただろう。

幸い首都圏近郊に住んでいることもあり、今まで特に運転免許が必要な場面に遭遇しなかったことも大きい。本人確認書類はパスポートやマイナンバーカード、買い物にしても大物は通販か配達をすれば済む。移動はもっぱら公共交通機関だ。環境もさることながら、周囲の人々からは「お前は危なっかしいから取らなくていい」などと言われ続けてきたことも、それに拍車をかけていたと思う。そもそも人の命を奪う可能性がある乗り物を運転するなんて、恐ろしい。もしもそれをしないで済むのならしないまま過ごしたい。それが本音だった。

教習所に入った時に答えたナントカ式テスト──運転適正を測るマークシート方式のアレ──では「決断力」の項目がA〜Eの五段階中Eという最低レベルを叩き出した。職業柄、校正などを行うことがあり、その状態でテストの解答を進めてしまったために解答できた問題数があまりにも少なかったことが原因かと踏んでいる。でもね、私は円滑な交通のために努力をします。がんばります。本当なんだ信じてくれ!

さて、表題の件です。前方のヤクルトレディが右折しようと待機していた。割と狭い道だった。対向車は途切れる様子がない。私はそのまま直進予定。だが、その右折ヤクルトレディを避けられるかどうかの決断ができずに2秒経過した。ただ、少し左によければ十分に避けて直進できるような予感はあった。アクセルを踏まなかった理由はただ一つ、ヤクルトレディにぶつからない確証が得られなかっただけだった。教官が言う。「行ける行ける、行って」すかさず「はい」と返答し、アクセルをわずかに踏むとほぼ同時にハンドルを左に切り、右折ヤクルトレディを避けて直進する。

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路上教習が終わった後、なんだかこんなことの繰り返しで生きてきた気がするなあと考えていた。私は、確証が得られないものを簡単に信じられないし、決断できない。逆をいえば、確証が得られるものに対してはごくごく簡単に決断する。金を払えば手に入るものがその筆頭だ。あとは、自分が作るものは「度重なる孤独な決断の末」に私によって作り出された、ありのままの姿でいればそれでいいものたち。他者の介入を受けない、幸福なものたち。

さて、他者の介入、そして物理的な干渉が起きること自体に関して。生きている限りそれらから逃れることは難しく、右折ヤクルトレディのように避けることしかできない。

幸いなことに、またしても右折ヤクルトレディが前方に出現したとすれば、即座に左ハンドルを切り、避けられることでしょう。今後も決断の材料と確証を蓄積していきたい。私が健康に生きている限りはね。

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