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美術館へ行くことは“学び”ではない

衝撃的な会話をした。

「美術館へ行くことは“学び”ではない」

学びというのは知識だから、見て感じているだけではただの感覚。

肥えているかもしれないけれども、全く学びになっていない。


なるほど。


今まで私は美術館に行くことは最高のインプットだと思っていたし、学びだと思っていた。学生時代、美術館巡りが趣味だった時代もある私は衝撃だった。私のやっていることは、学びではないのか。


学ぶとはなんだろうか。「これを見に行った」「これがすごかった」「この展示は」と語る人がいるし、私もその一人であったが。自分は、学ぶ姿勢で美術館へ行っていたのか。吸収したいと思って通っていたのか。

ただ見たいという好奇心や、見たという体験で満たされていたのではないか。


学びにしよう。


もちろん、体験する、見るというのは何ににも変えることのできない素晴らしいことで。しかし、自分は今までどれだけの知識を入れてきたのか。

思えば、「勝手に感じてください」

と丸投げの展示だって少なくない。


私はそういうのも好きだし、意図が書かれている展示も好きだ。それが良いし、それで良い。


でも、説明のない展示は知識がある人とない人で見たら、確かにインプット量は一目瞭然。

お金を払って、時間を費やして足を運ぶならばせめて、多くものを自分のものにしたい。


昨日見た、anothersky(テレビを見ない私だけれども好きな番組)では漫画家の永井豪さんがローマへ行っていた。

あの漫画が何が原点になっているのかって、そこからきているのか。漫画を読んで見たくなった。


美術館は価値のあるものだから展示される、そんな自分は誰かの洗練されたオムニバス“omnibus”に頼ってはいないだろうか。


会社に勤めて、時間が足りないなと思う毎日。仕事を楽しいと思う反面、もっと自分の時間が欲しいと感じる毎日。その時間を使うのだから、目的を持って行くことものを見るための準備と復習くらいはできるようにならなくては。

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学ぶと言ったら急に堅苦しく感じるかもしれないが、人生においては、どんなことも仕事になり、どんなことも学びになる。


感じるだけではなくて、考えて、人生に活かしてみる。きっともっと美術館が楽しくなる。


こんなこと当たり前かもしれない。

私の思考、感情、どこかの一部は、あの日みた何かだ。

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