“自分にしかできない仕事”って何だろう?への、回答
自分にしかできない仕事
たぶん、世の中のほとんどの人は自分の価値とか自分の生まれてきた意味とか探していて
だからこそ、自分の名前で生きて行く術とか
だからこそ、名前が前にでなくとも自分に価値を見出せる仕事を探す。
自分以外の人でもこの仕事はできてしまう
私以外の人がやった方が良いものができるのではないか
じゃあ私の意味ってなんだろう。
そんな絶望感は通勤中外を眺めていて不意に襲ってきたりする。
“働く”ということが生きることとの境目が曖昧になってきている今だからこそ
仕事の価値というのもただお金を稼ぐためのものではなくなってきた。
今は、お金の為とか家族のためとか割り切るのではなくて、仕事の価値がダイレクトに自分の生活の価値に置き換えている人が多くなってきているのではないだろうか。
私が仕事にしているのは、デザインの仕事で、ARTの領域に近い。
だからこそ、自分のこうしたいがダイレクトに反映されるので
自分がやった感、自分の価値を感じやすい。
それを志した高校生くらいから現在まで
「やりたいことがあっていいね」
とか
「行きたいところが決まっていて羨ましい」
と嬉しいことに沢山の人に言われてきた。
でもだからといって、みんながみんなアーティストになりたいわけじゃない。そうだよね。
やりたいことが分からないとか言うくせに自分にしか出来ない仕事をしたいと言う。
最近流行っている
オリジナリティとか個人の名前で生きるとか
そういう言葉の断片的な部分ばかりが
独り歩きしてしまいませんように。
誰にでもできる仕事にしてしまっているのは
自分自身
入社したばかりの時に仕事のやり甲斐について、自分の価値観が覆った回答を聞いたことがある。
「この仕事のどんなところにやり甲斐をかんじていますか?」
「普通を守れているということに萌える」
え!私の価値観がひっくり返った瞬間。
私は、今までどれだけ特別な体験をさせるのか、
どれだけオリジナルなものを作るかばかりを考えてきた。
もちろん、それはそうなのだけれど
じゃあ特別な体験とかオリジナル商品ってなんで世に出ているんだろう。
例えば飲食店でお箸が無かったら、どんなに美味しい料理を作っても意味がないんです。
最高のプレゼンテーションを用意したって準備が出来てなかったら始められない。
そりゃそうだ、なのだけれども門を潜ろうと近付けば近付くほど全体が見えなくなってしまうように
小さな範囲ばかりを見すぎてしまうと、大きな部分が見えにくくなるのだ。
大きな物事は小さな当たり前の上にある。
その小さな当たり前をやることが寧ろ、
きっと誇るべき部分。
たったひとつの“普通”が成り立たないことで
今までの過程が全て水の泡になる。
目の前の作業に忙殺されるのではなくて
その先の未来をどう見ているのかで行動、得られるチャンスが変わってくる。
あなた自身が、どれだけ今の自分のやっていることをスペシャルに変えられるのか。
たかがコピーと思わずにそこに何か+αしてみたら?(部数と予備を明確に書いてあったら嬉しいだろうなとか、お疲れ様です頑張って下さいとか書いてあったらホッと緊張が溶けるかもしれないし!など)
実は誰も期待していない部分こそ
後に残る印象は強い。
自分がちゃんと自分自身の目の前の仕事の未来を見てあげられているのか?
見られていないのならばまず、そこを見つけてあげて欲しい。
あなたの仕事を“誰にでもできる仕事”
と決めつけているのはあなた自身。
未来を少しだけでも考えてみたら
目の前のことを、まずは自分が自分にしか出来ない仕事にしてみよう。
そうしたらきっと少しずつでも
なんだ、私、良い人生じゃん。
なんて思えてくる。
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