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最初で最後の『大好きだよ』

ある日花屋で、仏花を丁寧に選ぶ人を見て、
数年前に亡くなった私のおばあちゃんのことを
ふと想った。


田舎のおばあちゃんという言葉が似合うその人は
背中が丸くて、しわがたくさんあって、
可愛くて優しい目をした人だった。

家族が集まる時にはいつもうどんを打ったり、
茶碗蒸しを作ったり、畑から野菜をとってきては
朝早くから料理で迎える準備をしてくれていた。

お茶うけに、と出てくるきゅうりの漬物。
なぜか食事の後にでてくる、おはぎ。

おばあちゃんを囲むこたつはいつも温かくて、
そのこたつから見える窓の景色は
車1台、人1人通らなかったけど、
時々猫や鳥がふらっと遊びに来たりして
その度におばあちゃんを喜ばせていた。

      𖦞

おばあちゃんが亡くなった日のことだ。

危篤であるとの連絡を受け、夜の21時に、
子どもたちを夫に託し、
兄と共に電車で病院へ向かった。
田舎の夜道は真っ暗で、
お互い良い歳になった兄と
「怖い怖い」と笑いながら病院まで歩いた。

着くと、親戚一同集まっていた。
コロナ禍ということもあり、病室には3名ずつ5分しか入れないという。
危篤状態であるから特別に医師から面会許可が降りたそうだ。

私の順番が来て、兄と母と病室へ入った。
するとおばあちゃんは、いつものように笑って
「いらっしゃい」とでもいうかのように、優しい目をくしゃっとさせた。

呼吸は少し苦しそうだったが、小さな声で
「こんなみんなが来てくれて、嬉しい」と言った。
とても危篤状態とは思えない。
そう誰もが思った。

母と兄は、言葉を選びながら励ましていた。
「おばあちゃん、思ったり元気そうだよ。」
「みんなで心配してかけつけたよ。」
「元気になったら何が食べたい?」

おばあちゃんは、話すのが苦しいのか、
「うん、うん」と返事をし笑った。

だけどその会話を聞きながら、
そこで私は静かにある覚悟を決めていた。

おばあちゃんの手を握って、
おばあちゃんの顔の近くまで顔を近づけて、
私の顔がしっかり見えるように、
私の声がしっかり届くようにして、
必ず言うと覚悟していた言葉を放った。


「 おばあちゃん、大好きだったよ 」


思ったより声が震えてしまっていたから、
もう一度言った。


「 おばあちゃん、大好きだよ 」


するとおばあちゃんは、
さっきよりもっと笑って「うんうん」と言って
私の手をぎゅっと握り返してくれた。

そこで時は来た。
母は「明日も来るからね、頑張ってね、おばあちゃん」と病室を後にした。

待合室に戻ると母は私にこう言った。
「あんなことをおばあちゃんに言ったら、
自分はもうだめなんだと思っちゃうじゃないの。」と。


だけど、私は知っている。

人は自分の最期は分かるものだと。
もう、おばあちゃんはそれがわかっている。
そしてそれを受け入れて、空へ行く覚悟を今している時間だって。

また会いたい、もっと生きてほしいという気持ちがある。

だけど、おばあちゃんの顔はそうではなかった。
だから、最後に、一番伝えたかったことを言うと覚悟した。
次があるという保証はどこにもないから。
自分の本音を逃げずに伝える。伝えたい。
言葉を選ぶ必要はない。

      𖦞


それが、おばあちゃんへの最初で最後の「大好きだよ」となった。

その晩、おばあちゃんは病室で
一人お空へ帰って行った。
付き添っていたおじちゃんの話だと、
おばあちゃんの頬に一粒の涙がこぼれた跡があり、
その顔はとても穏やかだったと。


あの時、恥ずかしいという気持ちや
そんなことを言ったら、といった気持ちで
あの6文字を手渡せていなかったら
私は今でもずっと後悔していただろう。

思えば、家族との関係をこじらせていた私が
母と兄の前で〈大好き〉なんて大それた言葉を
初めて口から放った瞬間だったかもしれない。

おばあちゃんは、最後の最後に、
私にあの言葉を言わせてくれたと思っている。

あの瞬間に、自分の中で
何かが解放されたような気がするんだ。


       𖦞

花屋で、仏花を丁寧に選ぶ人の姿が好きだ。
故人を想って、花を飾り、言葉をかけるのだろう。
生前言えなかったことも、
生前は話さなかったようなことも、
本音も丸ごと、話すのだろう。
それを思うだけで心が温かくなる。

だけど私は、あの日病室で
しっかりと手を握り返してもらった。
それで分かった。

いなくなって初めて本音を伝えるのではなく

本音で繋がりながら
私は生きていけるのだと。

おわり

エッセイ「本音はいつだって温かい」
本音って、まるで子どもみたい。純粋で、弱くて、まっすぐで。でも、何より温かい。言おうとすると、目の奥が熱くなるもの。恥ずかしくなるもの。そんな本音にたどりつけた日の、私の話をお届けします。


↓ 
エッセイ「本音はいつだって温かい」を書くきっかけとなった、母とのお話です。


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