014 こわさの先にあるもの① ラジオ体操
何年も前からずっと気になっていたことがある。
日曜の朝6時30分に、うちのマンションの窓から見える「ラジオ体操」の集団だ。モノレールの高架下、まっすぐ500メートルほど伸びる遊歩道沿いにどこからともなく人が集まり、ラジオ体操をして、何事もなかったかのように散っていく光景。
音は聞こえないのに
遠くて米つぶほどの大きさしか見えないのに
なぜだか はっと目に留まるのだ
そして私は窓に駆け寄って
釘付けになってそれをみるのだ
その時私は
映画「めがね」のメルシー体操とそれを重ねる
いつからか「気になる」が
「やってみたい」になっていた
でもなんだか こわい
変な集団だったらどうしよう
おじさんおばさんばかりで私は浮いてしまうだろう
じろじろ見られるだろう
ポジションが決まっていたらどうしよう
知っている人がいても嫌だし
知らない人しかいないのも嫌だし
ドキドキしそう
「どうしてやってみたいの?」の問いかけに
気になるから としか答えは返ってこない
そうして 2年以上の月日が流れるのだ。
こういうことって
人生の中でたくさんある
本当は気になる、本当はやってみたい
という気持ちがあるのに
こわくて 勝手に自分で理由をつけたりして
その気持ちが過ぎ去るのを待つ
平気で何年も それが去るのを待つのに
なぜか 消えずに ある
私がフィンランドに抱いていた感情もこれだった
そして今朝 また気づいてしまった
ラジオ体操も それだ
「エッセイを自分に書かせてあげる」
これができるようになってから
こんな風に思うのだ
人生は 怖いくらいやりたいことを
自分にどれだけさせてあげられるか
その 自分だけにしか 見ることのできない景色をどれだけ見に行けるか
自分の生きているうちに 自分の魂を
どれだけ喜ばさせてあげられるか
そんな1度きりのチャンスなんじゃないかと
最近は思う
こわさの先 そこは どんな景色で
どんな感情が湧き上がるのか 私は知りたい
来週の日曜日 私は 朝6時30分に
ラジオ体操に行く。
おわり