私の沼整理 仰臥漫録(備忘録所感)

正岡子規が晩年病に付してから書いた日記の随筆で、若干30代中盤にして早すぎる死期の情景が詰まって詰まりすぎていて、もう色々なものが溢れてくる。


坂の上の雲読者、並びに大河ドラマ観ている方なら尚更、正岡子規のビジュアル感が本やドラマの作品から目にしているならば、この本の情景は非常に浮かびやすい。
同時に情景が浮かびやすい一方、その作品たちの見え方はどこまで正解なのかは当時を知る人が生きているわけでもないのでわからないな、とは思う。


妹の描写に泣く

律の介護。いまと比べられないくらいの大変な明治時代の介護。なんてったって手術もモルヒネのみで自宅でやる時代。正岡子規の書き方だと、律の無慈悲な淡々とこなす看護に不満ダラダラなんだけど、律の帰りを心配して待つ俳句、妹が病気になったら自分も生きていけないから、ただ妹の健康を祈る記述がある。ドラマでは死後、その句を律が真之に話しながら「わしの宝物じゃ」っていうんだよね、確か。泣ける。

正岡子規が食べてたもの

とにかく菓子パンとココア。
日に菓子パンを数個、ココアも飲むし、間食すごい。
今後調べる宿題→脊椎カリエスの末期の状態での食事。あんなにも食べられるものか。
明治時代当時の菓子パンの入手先とココアの入手先。特に菓子パンは現代のものと違うはず。健康な人だって一日中何個も食べられないので、仮説だが小さなお菓子程度のものなのだろうか。上野根岸あたりの老舗の菓子屋とパン屋を調べる必要性あり。

子規庵の庭と俳句

東京農大が復元したんだっけ?
病床から作られる句はどれも目線が病床六尺から広がる情景や聴こえるもの、見えるものが多い感じで、目線が低めの情景が浮かぶ。

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