学校に行く理由は何だろう
小4娘は不登校です。
学校には週1回行くか行かないか程度で
行ったとしても
午後から1時間だけ受けて帰ってくる感じです。
毎日家で何をしているかですが、
タブレットで動画を見ながら、工作をしています。
学校の勉強をしては?と言ったりしてみますが、
やり方がわからないのか興味が湧かないのか、なかなかすることはありません。
学校に行く理由はなんだろう。
不登校の子供や親は必ず考えます。
私は学校は行かないいけないと思っていたので、不登校にもなってないですし、
何のために行くのかなんて正直考えたことはなかったです。
娘はよく言います。なぜ学校に行くの?と。
それに即答できない自分がもどかしく
勉強のため?友達をつくるため?社会性を身につけるため?しっくりくる言葉をいろいろ考えていました。
『小学校とは』でググると、こちらの記事がヒットしまして、読んでみると素晴らしく腹落ちする内容でしたので、紹介します。
(日本総研 経営コラム「小学校は何のためにあるのか?」より引用)
今の「普通教育=義務教育」が目指すのは、「人間として調和のとれた育成」を行い、「生きる力をはぐくむこと」である。小学校はそのための場として存在する。
(中略)
子どもが小学校に適応できないことを恥じる前に、本当にそこが「調和のとれた育成」をし、「生きる力」を育む場になっているか、きちんと見極めるべきなのだろう。学校を批判するのはたやすいが、残念ながら、いくら学校を責めても、教育の質が簡単に変わるとは思えない。ならば、最後は、学校に行かせず、自ら教育するほかないだろう。そういう覚悟を持って、子どもと向き合っていくのが、親の義務ではなかろうか。
コラムを書いている井上さんも、娘さんの学校がつまらないと言う言葉から、学校の意義って何なのだろうと自問するところから始まっています。
大切なことは、学校に行くことは、目的ではなく、1つの手段、選択肢でしかないということです。学校は社会が無償で用意されている、多くの子供達に対応できる素晴らしい環境だと思います。ですがすべての子供にフィットするものでは無いということを忘れてはいけないです。なんて甘いんだ、それが社会の実態だし、そういうものに慣れるのも大切だということも一理あります。でも、それは大人になってからでも経験できます。むしろ一生のうちで一番多感な時期、そしてベースとなる時期に自分を押し殺していると、本当に不幸だなと思います。
井上さんも、適応できないことを恥じるのではなく、本来の目的のために学校は機能しているかを見極めると言っています。目的を達していない場合、むしろ逆効果になっている場合は、躊躇なくホームスクールなり、他の道を選択すると。
私もこの意見には賛成ですし、娘の日々の様子を見ながら、娘にとって最良の道を探して行けたらと考えています。
そして、私が考える学校に行く目的は「自分の世界を拡げ、自分で考え行動できること」これを実践できる場を娘と一緒に考えて行けたらなと思っています。
まだまだ先は長いので、ゆっくり腰を据えて考えるしかないです。
いじょう!