【源 仲家・仲光・仲宗】 源 頼政の子息たち(1)
源 仲家 【みなもと-の-なかいえ】(?~治承4年〔1180年〕)
平安末期の武士。父は河内源氏・源為義の次男、源義賢で、有名な源(木曾)義仲の異母兄にあたる人物です。官職は八条院蔵人(『平家物語』だと六条院蔵人になっています)。
父・義賢が久寿2年(1155年)の大蔵合戦で敗死すると、仲家は摂津源氏・源頼政に引き取られ、その養子となりました。この時なぜ祖父である源為義(この時はまだ存命)ではなく頼政が引き取ったのか、事の経緯は定かではありません。
治承4年(1180年)の以仁王の乱では養父・頼政に従って以仁王方として参戦、宇治平等院の戦いで敗死しました。
源 仲光 【みなもと-の-なかみつ】(?~治承4年〔1180年〕)
平安末期の武士。父は源仲家、源(木曾)義仲は叔父にあたります。
『長門本平家物語』によると、宇治平等院の戦いにて頼政や仲綱が自害するまでの間、父・仲家とともに平家勢を防ぎ、頼政や仲綱が自害したのを聞き届けたのちに父子ともども自害したことになっています。
源 仲宗 【みなもと-の-なかむね】(?~治承4年〔1180年〕)
平安時代末期の武士。『吾妻鏡』に宇治平等院の戦いで討ち取られた頼政の子息として、仲綱・兼綱とならんで記されている人物です。しかし『尊卑分脉』には名前が見当たらず、どういう血縁関係なのかなど詳しいことは全くわかりませんが、諱に「仲」の字があることから仲家の子息かもしれません。
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