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「〇〇活」の強迫観念

ごきげんよう、大淀です。

最近の感情は、「『○○活』と名がつくもの怖すぎ!」です。

先日、小説家の村田沙耶香さんの「きれいなシワの作り方」を読みました。
ちなみに、村田さんは2016年に「コンビニ人間」で芥川賞を受賞されている有名な作家さんです。
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
このエッセイが良かったという話を信頼できる方がされているのを聞き、なんとなく読んだのが出会ったきっかけでした。
エッセイ全体の感想はいずれまた書きたいなと思うのですが、そこでも同じような話題が触れられていました。
この本自体の初版は2015年。
そのころの村田さんは30代半ばごろだとあったので、いつの時代もいわゆる「アラサー」と呼ばれる年代は、同じような悩みを抱えているのだとわかります。

人生には「○○活」というものが多すぎる。
最近本当にそう思います。特に女性は尚更。
就活から始まり、婚活、妊活などなど様々あり、楽しい「○○活」なんて推し活くらいかもしれません。
人間は常に何かを頑張らなければいけないのかと、思わず呆然としてしまいます。
その推し活すら、オタク特有の悩みにぶち当たるので、本当の意味で100%楽しいだけではない時もありますが……
それでもほかの「○○活」に比べれば、推し活は人生の活力になりうる活動なので大切にしていきたいものです。
ほかの「○○活」なんて、基本苦と楽の比率は9.9:0.1くらいなので最悪です。

「○○活」と言われると、謎の強迫観念が襲ってくる気がします。
それこそ就活の名残なのか、やらないやつはダメと無言で圧力をかけてくる感じがしてすごく嫌な気持ちになります。
婚活なんてその代表格みたいで、最悪な言葉です。
就活ですら生きるためにお金が必要だからやるだけで、石油王だったらやらなくていいわけです。別に必須科目ではない。
それなのに私たち、いや、少なくとも私は、やっていない自分を責めてしまうときがあるのです。
自分がのびのび生きることができるなら、本来それでいいのに。
そうわかっているのにね、不思議な話です。


30を超えると少しだけ生きるのが楽になると、周りにいる30代を迎えた方は良くおっしゃいます。
余計な重荷が少し降りるのだと。
立場や境遇にもよるのでしょうが、年を取るのも悪くないと案外聞くことが多いです。
もちろん村田さんのエッセイでは、それでも後ろ髪をひかれる瞬間があるという話をされていますが、それでも今みたいな変な気持ちとは、少しだけさよならできているかもしれません。
くだらないことで悩んでいたな、と思えるかもしれません。
それこそクオーターライフ・クライシスとも言いますし、そう思えるように、せめてしっかりと生きていく土台作りくらいは、無理のない範囲でやろうかな…と、きわめて消極的な、でも前向きな気持ちでいるわけです。

不安になったらカレー沢薫先生の「ひとりでしにたい」を読め。
さすれば不安の7割は取り除かれる。
そういうことなんだと思います。

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