ちえ

7年前から始まったゴジラ介護の記録。当時小学生だった子供たちが、中学生と高校生になりました。

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7年前から始まったゴジラ介護の記録。当時小学生だった子供たちが、中学生と高校生になりました。

最近の記事

親を看る 父が脱走した話

 入院中の父は本当にわがままだった。  それに加えて、入院3か月くらいになると、疲れがたまって痴呆になった。  わがまま+痴呆 でえらいことになった。酸素マスクをしていたのだけれど、その酸素マスクを苦しいからと言ってとってしまうことはしょっちゅうで、常にわがまま言っていた。  さらに痴呆が進むと、私の名前がわからなくなった。私の下の名前がわからなくなり、別の親戚の名前を音読みした名前を呼ぶので、彼女とわざと勘違いした作業療法の先生に「奥さんに内緒がバレてしまいましたね」と

    • 親を看る トイレで便をするのが俺の美学

       父はもともとわがままな患者だったけれど、手術が終わって、わがままがさらにエスカレートした。  内臓の手術と別に首の手術もした父は、おむつで排便をするように言い渡されていたのに、父のわがままはオーバーヒートし、トイレで便がしたいといい始めた。  入院からずっと父のわがままをおさえるため、泊まり込みで看病していた母だったが、父をおさえきれなくなって「もう帰る」とブチ切れ、私に夕方に電話してきた。私が病院に飛んでいくと、怒って困り果てている母を尻目に、絶対安静なのにベッドから

      • 親を看る はじめに

         父が亡くなってもう足かけ7年になるけれど、当時の荒れっぷりを覚えている。  年の暮れに突如としてすい臓がんが発覚し、その内容はステージ4bだった。  運命としかいいようがないんだけれど、私の弟は臓器専門の外科医であった。そこで発覚後頭が真っ白になっている父を拾い、自分の勤めている病院で手術・治療した。   私は、父、弟と、献身的に父を支える母をサポートして1年間走り抜き、父を何とか天寿を全うさせた。しかし、家族に主治医がいて、自分の親を大手術し治療するということは、本当