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秋の始まりを感じ思い出を綴る


北海道は、もう秋の気配。
たくさんのトンボたちが飛び交っている。
日中はまだ暑くて半袖でもいいけれど、朝晩は冷え込んで肌寒い。日が暮れるのも早くなり、窓を閉めようとすると、月が照らす暗闇のなか虫たちのきれいな歌声がきこえてくる。


数日前、コキアを植えている鉢植えをどかすとコオロギたちが飛び出してきたのはびっくりした。鉢の下は住みやすいのかな。全身鳥肌が立ちながらも「せっかく休んでいたのにごめんね。」とつぶやく。
虫が嫌いじゃなければどれだけよかったか…。



虫が嫌いになってしまったのはいつだったろう。
幼い頃はよく祖父と妹と虫取りをしていたっけ。
虫取りアミと緑色の虫かごを持って、トンボやチョウチョウ、コオロギ、鈴虫、クワガタ、たくさんの虫を追いかけていた。虫たちにはこわい思いをさせてしまったのかもしれない。

でも夢中になってなにかをする時間は宝ものであり、興味を持ち行動するのも大切なことだ。



私の1つ下の妹も虫が好きで、私以上に凝っていた記憶がある。小学校の低学年ころだっただろうか。その当時はまだ祖父母とは離れて暮らしていた。



大きな虫カゴを持って長い時間何をしているのかと思えば、とんでもないほどの数のアリやワラジムシ、バッタを集めて持ち帰り、その度に母に奇声を上げさせていた。「(妹の名前)が虫を集めないように見ていて!」と言われたが、あまり妹を止めなかった。言ってもやめないだろうし、"やるだけやらないと気が済まない"とわかっていた。なぜなら私がそうだから。



妹の虫取りが終わる日はそれから間もなく、突然に訪れた。


家(アパート)の外へ出てみると、虫カゴが家の階段下に置かれているのが見えるが妹の姿はない。そのカゴには少しのワラジムシが入っていた。名前を呼びながら探すと、すぐそばの歩道に妹はいた。毛が少し汚れた野良猫といっしょに。


「抱っこしたいけどこわくてできない。」と言う。
私は「やめな、お母さんにまた怒られるよ。」と忠告する。母は猫が苦手なのだ。

しかし、妹は野良猫から離れなかった。
「あんまり遠くには行かないでね。」とだけ伝え、私はその場を離れて家の前で遊んでいた。



夕暮れ時、"そろそろ妹を呼んで帰らなきゃ"と思っていたら野良猫を抱いた妹が登場。こっちを向いたその顔はドヤ顔である。そして外にあるアパートの階段を上っていく。

私は若干の不穏を感じた。
いや、むしろ不穏しか感じなかった。
妹がインターホンを押し母が出てくる。
その瞬間に事件は起こった。



猫が「ニャア!」と鳴いたと同時に、妹の顔を思い切り引っ掻いた。そして呆然とする妹の手から飛び降り、逃げ去ってしまったのだ。
少し遅れて妹の泣き声が辺りに響き渡る。 

「もう何やってるの!だから言ったでしょ!消毒するから中へ入りなさい!」という母の心配と怒りが入り混じった声も、同時に響いた。



予想していた展開とは全く違うけれど、不穏であることに変わりはなかった。私は案の定とばっちりを受け、家の前に放置されたワラジムシの入った虫カゴの片付けを余儀なくされた。その後自分の行動や言動について小学生ながらに"どうすればこうならなかったか"を考えることとなった。

思い返してみれば、母は虫を取ってくるなと言ったが猫を連れてくるなとは言わなかった。もしかしたら妹なりの反抗だったのかもしれない。


その日から妹は虫取りを一切行わなかった。


現在では、私も妹も虫が大の苦手となった。
虫を追いかけ回していた子どもの私たちは、虫に追いかけ回され叫ぶ大人となった。


先日公園で散歩をしていると、小さい子が虫取りアミを持ってトンボを追っていた。キラキラした目をして、時折お母さんに話しかけながら。その光景と自分の子どもの頃を重ね合わせ、ほほえましくなる。


夏のようだが、秋の風を感じた


ハトもいた!ごはん中かな


肌寒さを感じると夏との別れが惜しくなるけれど、色彩豊かな季節との再会が楽しみだ。








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