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都会への憧れ
都会の生活に憧れていたあの頃。
高いビルが立ち並ぶ街、ピシッとした服装で革靴やヒールで歩く会社員、タクシーに手を上げる動作。夜になれば、ネオンが光り輝き賑やかになる。お店や物、なにもかもが都会には揃っている。そこに行けば何かが変わるだろうと、TVに映る全てに胸が高鳴った。
高校の修学旅行、東京のホテルに宿泊した。5~6人部屋。修学旅行の夜なぞ興奮してすぐに眠れるはずもなく、深夜までどうでもいい話で笑い転げる。AM2:00すぎだろうか。ホテルの窓から外を見ると、ニュースで見る通勤ラッシュほどに、かなりの人数の人々が行き交っていた。私はそりゃあもうびっくりしてしまった。この時間にこれほどの人たちがまだ家へ帰っていないなんて、と。眠らない街、東京だ。ビルを見上げるとたくさんの明かりがついていて、車も人に負けじと行き交う。
私の故郷は田舎だ。
森に囲まれ、大きくも小さくもない川が流れている。畑が多く、鳥も動物も虫も多い。家がポツンポツンと並び、おしゃれな服装をしようものなら嫌に目立ってしまう。明け方は、鳥もしくは季節により農機や除雪機の音に起こされる。夕方には町内放送で、童謡が響く。夜になれば真っ暗だ。外灯もわずか、それも薄暗いオレンジの明かりで、家の外に出るものは誰もいない。見つけたら、間違いなく"お化け"の類だ。23時頃になると、家々の窓からもれる明かりも消える。
規則正しい人々の生活だ。
2021年頃、私は初めて『北の国から』を観た。もちろん知ってはいたが、観ようとおもったことはそれまでなかった。"ドラマ"よりも"映画"が好きだったため、当時はドラマを観ることはほとんどなかった。ただ夫も義母も母もその作品が大好きだったので、私も道産子として「1度は観ておかねばならない」と思ったことがきっかけである。最初は案の定セリフ回しが気になって仕方がなく、集中できなかったけれど気付けば夢中になって最後まで観ていた。その最後の『遺言』を観ようと思っていた矢先に、田中邦衛さんの訃報が流れ、胸が締め付けられるようにとても悲しかったことを覚えている。
『北の国から』は私のお気に入り作品に追加された。
その後、倉本聰さんのことも知りたくなり、インタビュー記事や是枝監督との対談も何度も見た。
この作品の何が好きなのかというと、あまりにも"田舎暮らし"と"人間"というものに忠実だったところだ。この作品全てを観終えての感想を一言で表すならば「これ私の故郷の話じゃないよね?」だった。田舎では1人では生きていけない。みな助け合って、声を掛け合い、関わり合って生きていく。だからこそ、問題もたくさん起きるわけだ。学校のクラスが同年齢の集合体だとすれば、町の地区は20歳以上の大人たちの集合体。もっと複雑で一生解決しないであろういざこざも出てくる。噂話はすぐに広まり、最終的には全く根も葉もない話になって勘違いされていたことは少なくない。
地区の皆は私のことを知っている。
名前を知らなくても『○○の娘』『○○の孫』というと、「おまえかー!大きくなったなー!」と声を掛けてくれる。結婚報告に近所へ挨拶に行ったとき、「おやつ(私)のことは赤ちゃんの頃から知っていて、自分の孫みたいに可愛がってきたんだぞ」と夫に話す人もいた。私の3歳の誕生日会の写真では、何十人も集まって賑やかに飲み食いしている様子が映されている。今にも声が聞こえてきそうだ。これは田舎の結束力、そして祖父母の人間力なのだと私は思っている。
人間関係が濃いからこそ話題は尽きない。
「○○さんが、入院・ケガ・結婚・出産・事故・手術・喧嘩・引っ越す・亡くなった」と、まるで『北の国から』の脚本のように次から次へと何かが起きる。
何年も前、今は亡き祖父母が元気だった頃のこと。ある昼下がりに、歩くのもやっとの状態のご老人が我が家を訪れた。その方は昔この地区内に住んでおり、祖父母と母のことをよく知っていた。そしてその日は会って話をするのは、とても久しぶりだったようだ。
しばらくたった頃、ご老人は頭を下げて手をつき、祖父母にこう言った。
「あのときは本当にすまなかった。これを伝えなければ死んでも死にきれん。」
もちろん祖父母は、その言葉に対して感情を表すことはなかった。何十年も昔の出来事なのだ。ただ優しい言葉をかけたようだった。
そのご老人は、家を訪れた約1週間後に亡くなった。
謝った理由だが、詳細は伏せ簡潔に伝えるならば
"あること"が起きてしまったその原因は、ご老人の親戚の子どもにあった。だがそれをご老人はわかっていたのにも関わらず、他人の子どものせいにしてしまったと。その子どもというのが、私の母の従兄弟だったようだ。そのことに「おかしい!」と声を上げたのが、祖父母だった。だが、誰も聞き入れなかったらしい。
一番辛かったのは、その子供なのだ。
今はもう大人なのだが、学生時代からヤンチャをして、その後悪い方へ悪い方へといってしまったようだ。誰も連絡先はおろか、どこで何をしているのかも知らない。
田舎で干渉されている感覚が嫌で嫌でたまらなくなった私は、20歳を過ぎた頃、札幌へ飛び出す。
東京へ行く勇気と覚悟は持ち合わせていなかった。
そして後に札幌を飛び出し
現在、故郷とは別の田舎で暮らしている。
結局北海道が好きで、田舎暮らしが好きだ。
田舎の良いところ悪いところも知っているけれど、やっぱり広い空と大自然の中、ゆったりとした時間の中で生活することが自分には向いているのだと思う。
だからこそ、都会に憧れる。