障害との付き合い
生後3か月の乳児の時に、兄に眉間に野球ボールを投げつけられて、けいれんを起こした。おでこはボールの形に膨れ上がった。
父が抱えて病院に担ぎ込んだとき、医師は「運良く生き延びても重い障害が残る」と言ったと聞いている。
それから頻繁にてんかん大発作を起こすようになった。医師からは長生きしないと言われた。
父は「お前はケチがついたカタワだ」「知的障害になったらお前をぶち殺して、有り金全部使って豪遊してから出頭する」と何度も言った。
母が今わの際に「泣き止まないことにお父さんが腹を立てておでこを殴った」と言った。どっちにしろ家庭内の殺人未遂だからどうでもいい。
兄は、カタワの弟の代わりに父から殴られることが一度だけあった。そのことで恨みを買い、結果奴隷のように扱われた。
早死にするはずが、てんかんは予兆がまだあるものの、ほぼ寛解した。脳波にも異常はない。頭蓋骨のおでこの部分に、大きな溝があるだけだ。
双極性障害と発達障害は脳の障害だというので、生まれながらの付き合いだ。躁状態で一人ではしゃいで、発達障害からか相手のことは考えない。そんなだから保育園の頃から9歳までいじめられた。先生からも嫌われた。
周りとうまく付き合っていくことができない子供だった。10歳で引っ越したことがきっかけで、ラピッド型の双極性障害になったと思う。ストレスで12歳まで寝小便をしていた。
中学生にあがり、突っ張ることを意識するようになった。我慢強さを装って、シャイな一面は封印した。それも長くは続かず、20代半ばには心の傷を抑え込むことができなくなってきた。
会社が倒産の憂き目にあって鬱屈と暮らしていたある日、突然42℃の高熱に苦しむようになった。4時間高熱のあと4時間の微熱、これが3日3晩続いた。
2日目に薬局に行ったあとに、両足首がちぎれるほどの痛みが生じた。我慢できずに3日目に大学病院に行ったら、白血球がほとんどない、あと数時間で死ぬと言われ即入院した。
臨床検査の結果は不明。口が利けるまでに回復した時、天井のダウンライトが5つに見えると訴えたら、居合わせた3人の先生が顔を背けてしまった。ああ、このまま死ぬんだなぁと思った。特に悲しみは起きなかった。
髄膜炎菌性髄膜炎と診断されたのが2週間後と遅く、仮に早期診断・適切な治療を受けても5~10%は死亡するし、生き残れば重い脳の障害が残る。なのに、1か月で退院して、奇跡的に重い後遺症はなかった。
IT系の派遣会社で案件が決まった。上司と人事部長に、直接雇用をするから派遣はやめなさいと言われた。とてもいい話だ。派遣契約の延長は断った。
上司から言いたいことがあれば今のうちに何でも言ってほしいと言われたので、髄膜炎の後遺症が不安なことと、てんかんの予兆があると正直に言ったところ直接雇用の話は白紙撤回され、職を失った。
そして、コップから水がこぼれるように心の抑制が効かなくなった。
三日間大泣きして、泣いたままクリニックに駆け込んだ。光トポグラフィー検査で極端な双極性障害と診断された。検査結果を学会で使っていいかと聞かれた。
双極性障害とはなにかを聞いて、小さい頃からの生きづらさの原因が何なのか得心がいった。
今はかつてほどの感情の起伏がない。発達障害のカウンセリング結果も良好だ。障害に殺されそうになったり、死のうと思い詰めた時期もあったけど、今は障害を理解しコントロールできるようになってきた。少しだけ。
これからもずっと穏やかに過ごしていけたら、障害も悪くないと思う。
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