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[書籍レビュー] 絶歌 / 元少年A (著)
「絶歌」http://www.amazon.co.jp/dp/4778314506
まず最初に、該当の事件・犯行に対し私は批判も肯定の念も持っていない。
あくまで客観的な視点として捉えるものとする。
まず、作品として全体を見た際、著者が冒頭で記述しているように、その思考は14のままで止まっているかのように感じ悪寒がした。
彼は自身でも「過去の猟奇殺人者と同様の英雄になりたかった」と述べているように、自分のしたことに対して英雄だと思っているようであり、その思惑が文章に有り有りと主張されている。
また、表現の限界が浮き彫りになっており、著者には申し訳ないが、池の下り等は読むのを飛ばした。「綺麗だった」と書けば良い表現を、何倍にも膨らませ必死にそれを伝えようとているのかとおもいきや、”小説家のような表現が出来る人間である”ということを主張したいのだと感じる。これはとても虫酸が走るような感情を彷彿させた。
事件が起きた97年当時私はまだ小学生に入学したばかりであり、事件を知ったのは中学に上がってからだ。
この事件に対し、幼いながらに衝撃を受け、伴いある程度の刺激を感じた。
私もまた猟奇殺人というものに興味があった時期があり、しかしそれは歳を追うごとに至極「どうでもいいこと」となっていった。
しかし著者の書いた文章は、この当時の中学生の私が読めば”うっとり"としたかもしれない。
つまり、14の子供が持つ思想を彼はまだ持っており、その虚しさがこの本には描かれている。
端的だが、幼稚と言っていいはずの文体なのである。
基本的に文章を繋ぐ技術は事足りておらず、しかし文字書きとして機能すべく、自身が読んだ文章の中からインプットしたであろう野暮ったく陳腐な表現がとにかく多い。(昨今のライトノベル等もこの傾向にある)
そして、自分を「モンスター」と称し、人間ではなくなった自分を描写しつつ、一般的な人間である様として過去の幼き自分を多く描くのは些か違和感である。その違和感の根源は、ある種「誇れるもの」として自身の輝きに満ちた思い出を記載しているからではないだろうか。
輝しい田舎情緒ある思い出を持った自分。しかし、一般的な人間とは違った猟奇的な自分。そのギャップを演出するような形成は殊更幼稚さを感じさせた。(ゴーストライターの存在というのは良くも悪くもどちらにせよ無意味である)
だが、まるで自分が被害者かのような表現は一定の不愉快を通り越し、愚かさ故の愉快を感じることさえ出来る。
自身の数奇な人生に酔いしれるような激情を今でも持っているのは確かであり、まるでファンタジー作品の中に登場する主人公のように自分を理想のキャラクターとして創造させたいがため、またそれを多くの人間に認識させ愉悦を感じるためこの本は作られたとしか思えない節がある。あるいは、己の武勇伝を後世に残したいのである。(彼のWEBサイトからも、そんな節は見られる。)
しかしそれは間違いではない。本とはそういうものだ。
いずれにせよ、この事件を風化させないため、あるいは猟奇的思考を持つ人間が書いた本として考えれば価値がある。
だがそれ以外は至って不毛な書物である。他人に奨める気は全くない。