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京の丹波、野村家

農業のこれから

大切な家族を思い。生まれ育った地域を思い。「農業の、これから。」を思い。

就職や進学で一度は地元を離れたものの、様々な思いを胸に、20代という若さで帰農した農家さんにもお話を聞かせてもらいました。お爺さんの後を継ぐ、隔世農家として。代々の家業を守る、女性農家として。
販路や担い手、農地といった、昔から農業が抱えるテーマと向き合いながら、モダンな帰農スタイルで今を生きる、京都府北部エリアの若手農家さんをご紹介します。

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隔世農家で、故郷おこし。

65歳が若手といわれる農業の世界で、20代の農家さんは若手も若手。「京丹波は食の町なんです」目覚めたてのラディッシュが元気いっぱいに葉を起こす朝のビニールハウスで、太陽のような眩しい笑顔で地元愛を語る野村幸司さんは現在28歳だ。

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幸司さんが東京から京都へUターン転職し、生まれ育った京丹波町で帰農した理由。

それは高校生の頃、母校の小学校が廃校になった切ない思い出にある。「解体されていく校舎を見て悲しくなりましたね。黒枝豆や丹波栗で有名な京丹波は食の町なのに、農家を継ぐ人がいない。農業で地域を盛り上げたいという思いは、この頃からありました。」

東京で大手食品卸の商社営業に就いたのも、農協オンリーだった農家さんの販路開拓を狙って。「イイものをつくっていても、安定した生産力と流通の仕組みが整っていないと、農家は食べていけません。

また、産地としても生き残っていけません。志ある農家同士が連携して生産力を高め、流通を整備していけば、販路ルートは拡大できます」
今では、東京・大阪の高級百貨店やスーパーをはじめ、京都市内の中央市場や八百屋さん、道の駅、有機宅配会社など、BtoB取引先は様々だ。

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農家さん同士の情報交換やパートさんを募集したりと、SNSも活用しながら、 地農家だからこそできる農業の新しいカタチについても、幸司さんは構想を描いている。

「農業をやりたい人はいる。でも、いい農地が見つからない。一方で、受け入れる地域側も見ず知らずの人に大切な農地を預けるのは、とても勇気がいること。

それなら地農家であるうちが、一旦地域の方から農地をお預かりして、担い手候補をトレーニングしたのち、独り立ちできる仕組みをつくれないかと。 」

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20年近くほうれん草農家を続けた祖父の保さんから、事業継承して1年余り。隔世農家は覚醒農家と言わんばかりのスピード感で、今では7棟のハウスで年間4~6tものラディッシュをつくり、京都府トップの生産量を誇るラディッシュ農家へと急成長した。

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2代目の幸司さんは販路開拓や担い手の育成といった、そもそもの課題と問題に取り組みながら、SNSという現代ツールも駆使して、食の町・京丹波の支えとなる農業の活性化を目指している。

野村家


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