【小説】魔女の告解室vol5
前回までのあらすじ
愛する男の妻を罠にはめて処刑させた最年少の魔女エレナ。
魔女たちの掟である「人間への魔法行使の禁止」に触れないように、エレナはこの計画を成功させる。
だが、幼い頃よりエレナの面倒を見てきた長老はこの事件を見抜いており、エレナを館へ呼び出す。
以外にもエレナの殺人については触れずに、絵本の物語の続きを聞かせる長老だった。
しかし、長老の口からでたのは、魔女の衝撃的な歴史の物語であった。
第五章 千年の孤独②
「今日あなたをここへ呼んだのも、私の娘について聞いてもらおうと思ったからです。年季の入った古い古いお話ですが」
「は……い……」
さっきまでエレナを撫でていたり、顔を見合わせて笑ったり、昼食を取っていた長老とは全く別の雰囲気が目の前にいる貴婦人から溢れ出ていた。
部屋を覆いつくすように浸食してゆく冷ややかな空気が物語っている事実は一つ。
生ある者が持つ温かみを微塵も感じられないという事実だった。
「心配しなくてもいいのよ、エレナ。あなたは私の話を聞く権利がある」
「はい……。長老様、どうかその憤りを収めてください。私にはどうしても体に応えます」
長老がエレナの隣へ腰を降ろすと嫌な空気の感じは霧散し、部屋は食事の後についで貰った紅茶の残り香で満たされてゆく。
不思議だった。随分長い間話していたはずなのに、日の位置も図書館に到着したときと殆ど変わっていない。
「紅茶をお持ちしました」
時間が、緩やかに進んでいる。私と長老以外の世界の時間が。
長老をめぐって飛び交う噂は真実だったことをエレナは認めなけらばならなかった。1000年・10世紀という途方もない時間……。
「ありがとう。テーブルの上においていってちょうだい。それと、今日はここまでで結構です。後のことは私がやっておくから」
世話人は慣れた仕草で前に両手を組み合わせると、一礼を残して部屋を後にした。
「話の続きを……」
傍らのエレナに優しく微笑みかけて、咳払いをする。紅茶の湯気が一瞬、静止画のようにその活動を止めて、風のない日の雲のようにのろのろと進み始めた。
✒ ✒ ✒
≪村が疫病の終息を迎えるころ、私が助けた子供は教会に預けられていた。
村の大半の大人が死ぬ大災害になったのだけれど、残った村人たちは力を合わせて復興を進めていた。
河川が整備され、井戸を作り直し、教会が教育を担うようになっていた。
生き残った者たちが主導になってね。人間たちは不思議に思った。
両親ともに疫病にかかり死んだのにも関わらず、その子が生きているのはなぜなのか。
感染した母の母乳を飲んでいた赤ん坊は例外なく死んでいたのにも関わらずね。
教会では生き残った、身寄りのない子供たちを保護して育てていたけれど、子供たちの間でも、その子は極めて異質だった。
読み書きを他の誰よりも早く覚えると、新たな水源を見つけて井戸起こしの手伝いをしたり、ハリケーンや雷雨の予測をして見事に充てて見せた。
大人たちは彼女がもたらす利益にあやかろうと必死になって彼女に食べ物を貢いだり、綺麗な洋服を着せたりした。
けれどそれをよく思わない人間もいた。同じく孤児になった子供たちね。
子供たちは教育と体よく名付けられた労働を強いられていたわ。教会はまるで囚人を扱うかのごとく子供たちに村の復興のための労働を強いた。
特別扱いされていたその子はやがて酷いいじめを受けるようになった。川へ突き落されたり、井戸に閉じ込められたりした。
教会で施される食事は取り上げられ、村の大人たちから貢がれたモノは全て孤児に奪われた。さらにエスカレートして、彼女は暴力を受けるようになった。
けれど、彼女の体にいくら傷をつけようと、翌日には綺麗な体に戻っていた。
いい?彼女にいくら暴力をふるっても誰も気づかなかったのよ。
村の復興が済むと、成長した子どもたちは、神父や修道女、靴屋に農家、貴族の召使いに商人の家など村のさまざまな職へつくようになった。
彼女はと言えば、当時盛んになっていた宝石商へと貰われていった。井戸の場所を見つけたように金がとれる場所を彼女は見つけることができたから。
彼女をつかって財をなした人間は金持ちとなり、村での地位を盤石なものにしていった。
彼女は金の卵を産む鵞鳥として異常なまでの庇護を受けていた。その実は牢獄のような暗い部屋に押し込められ人目につくのを徹底的に避けられていた。
食事は結構なものを与えられていたが、部屋に放り込まれるだけ。清潔は召使いたちの手によってかろうじて保たれていた。
次第に彼女はそれまでの生活を忘れていった。金の力で権力者に取り入った商人はやがて犯罪に手を染めるようになる。
美しい娘を見つけては強姦まがいの行為に及ぶと金で黙らせた。貧しいものや身分の低いものを迫害しつくすと、今度は村で大きな反乱が勃発し、商人は殺されてしまう。
彼女は商人の横暴の片棒を担った悪しき人間とみなされ処刑されかけた≫
✒ ✒ ✒ ✒
私は自分を責めたわ。
彼女が魔法を使えるようになったのは、彼女の両親を薬に変えて彼女に飲ませた私のせいなのだと。
処刑の前日になって牢から出してやり、私は村から遠く離れた、川のほとりの自宅へ連れ帰った。
「あなたも私に何かを見つけてほしいの?」
「いいえ、あなたにプレゼントがしたいのよ。あなたは今日からここで自由に暮らす。気のゆくまでね」
彼女は自分の置かれた現状を理解していないようだった。
彫刻のように切り立った鼻に真珠のように煌めく瞳。
小さな唇は浜辺に落ちた綺麗な二枚貝を思わせた。それらが載っている彼女の顔は白く透き通っていた。
しかし、彼女は生活を知らなかった。というより生活の影や文明が抜け落ちてしまっているかのように見えた。
トイレができなかった。商人の部屋ではオムツのようなモノをあてがわれていたから。
食事もやはりできなかった。フォークやスプーン、ナイフは目の前にあっても無視して手でつかんで食べてた。
3歳くらいの子供がするようにね。
「絵本を読んで」
夜になると何時間でも絵本をせがまれたわ。
彼女はもともと読み書きに親しんだのが早かったから、一緒に暮らすようになって一月もすれば自分で読めるようになった。
食事もトイレも一人できるようになったとき、子育てがどのようなものかを私は知ったわ。
長老の声は時々しわがれたいつもの声に戻った。
横から覗いた長老の目は、瞳を覆う薄い膜に必死で涙を押しとどめているようだった。
エレナは思わず長老の背中に手をあてる。
「読み書きができるようになった彼女に私は両親から授かった彼女の名前を教えることにしたわ。孤児たちの名前は拾った人間が付けることになっていたから、彼女はずっと本当の名前を知らなかったの」
長老はまだ湯気の出ている紅茶を、音を立てずに口に含むと綴りをそらで書きながらエレナに伝えた。
「アイビー(ivy)よ」
その名前を思い出すのは容易だった。
文机の上に立てかけられている見覚えのある表紙。
あの「石の絵本」の最後の頁に記された三文字。
小さく驚いたエレナに長老は娘の面影を見るように、彼女を覗き込んでいた。
(続く)
2020年6月24日 『魔女の告解室』 taiti
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