【小説】魔女の告解室vol.14
前回までのあらすじ
魔女と人が共に暮らす町。
人を排除し魔女たちの社会を確立させようとする指南役、人と共生しようとする長老の二つの勢力の間で、リコリスは戦っていた。しかし、指南役の筆頭であるガザニアに、長老一派だと疑いを掛けられ、復讐の機会を失おうとしていた。彼女は長老に復讐を託し、身を投げた。
第八章 月下美人⑤
「美しい月を見た。月は誰も殺しはしない。私と同じ夜を行く者でも大きな違いだ。命を摘み取るだけの毎日が、私の生涯で、私のすべて。どこにも逃げ場などない。それなのに、25年も生きてしまった。でもこれで…」
落下は、ゆっくりとしたものだった。
数秒後に訪れる死を予感しながら、リコリスは幸せに満ちていた。
予想する痛みより、彼女自身の毎日に伴う痛みの方が、はるかに苦痛だったから。もう誰も殺さなくてよかったから。
水中へ強く叩きつけれた衝撃のあと、彼女は安らかな気持ちで、まどろみの中へ向かって行った。
✒️ ✒️ ✒️
「気分はどう?」
「あなたは…」
「あ…いや、無理しなくていいよ。今、お粥を持ってくる」
木の香りと、川の匂い。低い天井を、ろうそくの灯りが照らしている。一瞬、むせ返るような濃い花の香りが漂う。枕元に月下美人が一房置かれていた。
「大丈夫かい?ゆっくり飲み込みな」
青年に背中を支えられ、お粥をすする。酷く味の薄い、具も入ってない、農民の粥。
ただ、湯気が立ち上り、喉を通ると、全身が温められて行く。
小さくて柔らかい生きものを、お腹の上に乗せているような感覚。
「食べたらまた少し眠るといい」
どうしようもない眠気に襲われて、再び目を瞑る。
お腹のお粥と、手を握られている温みで、すぐに、眠ってしまう。
「ゆっくりだ。ゆっくりと飲み込むんだ」
目を覚ますと、すぐに肩を抱かれ、お粥を口に運んでもらった。鍵がゆっくりとはまるように、意識がはっきりとしてくる。
「3日間、眠っていたんだ。少し、お日様に当たって、体を温めるといい」
肩と、膝の後ろに手を回され、抱き起こされると、家の外にある、ハンモックまで運ばれる。青年は彼女を寝かせると、手を取って、自分は木の根本に腰を下ろした。
リコリスは、足首まで隠れる、布一枚しか身につけていなかった。足の感覚が無く、ぴくりとも動かない。
青年に握られた手だけが、温かく脈打っていた。
「あの…ここはどこ?」
「町の外れさ」
「ごめんなさい、あなたには迷惑かけたのね」
「別にいいさ…」
小一時間ほどすると、また青年に抱き抱えられて、家のベッドに寝かされた。
…私は生き残ってしまったのね。全身の感覚がない。首から上は少しだけ動くけど、あとは全くだめだわ。
夜になると、焼き魚を食べさせてもらった。骨まで全部抜かれていた。
灯りを落とすと、青年は彼女の手を握って、自身は椅子に持たれて眠っていた。
夜中、手が離されて、薄く目を開けると、青年は、彼女の足を軽くあげ、布で何やらがさがさと吹いていた。
不思議に思って、そのまま眺めていると、青年は彼女の足の間から出てきた布を、外へ持っていった。帰ってくると、吊るされた紐にかけ、干してあった布を、再び彼女の足の間へ挟んでいた。
彼女は泣きそうになった。恥ずかしかったのではなく、情けなかった。命を救われ、朝から晩まで面倒をみてもらい、繊細な部分の世話もさせていることに。
…魔法!なぜ忘れていたのかも、分からないけれど、なんとかなるはずだわ。
何度が念じてみたが、何も起こらなかった。涙が溢れた。どうしようないほど無力だった。もう自分で死ぬことさえできない。
涙が溢れると、青年が彼女の頬を拭いた。
「ごめんな」
低い声で告げると、あとは押し黙っていた。
彼女は謝られる理由がわからなかった。
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何日たったか分からない。
ただ、朝日が登り、日が沈むのを、青年に寄り添われながら暮らす毎日だった。
「あなたの名前は?」
「俺には名前がないんだ」
「家族は?」
「家族もいないんだ。物心ついたときから、ここで一人生活してる」
「仕事は?」
「川に行って魚を釣る。山から迷い出てきた猪や、鳥を狩る」
「なんで言葉が喋れるの?」
「たまに漁師や狩人がここらへんに来る。聞いているうちに覚えた」
「寂しくないの?」
「あんたがいる」
リコリスは青年と沢山のことを話した。魔法のことも包み隠さず全て話した。もう魔法が使えないのだ。魔女ですらなくなり、植物人間になった彼女にとって、何も縛られることはなかった。
「この世界にはね、魔法があるの」
「魔法?」
「ええ。枯れた木を生き返らせたり、川の流れを変えたり、人の心を操ったり、人を薬に変えたり」
「すごいな」
「魔女が暮らしているの。人間に正体を隠しながら暮らしてる。不思議なことにね、男の魔法使いはいないの。みんな女」
「じゃあ俺は魔法が使えないな」
「そうね。でもあなたの生活は、まるで魔法見たいよ?世界からすっぽり隠されてしまったみたいな古屋で、一人暮らしている。誰も傷つけないし、誰も傷つかない」
「ただ一人ぼっちで暮らしてるだけさ」
「みんな一人ぼっちになればいいのよ。そしたら、誰も不幸にならない」
「いまは二人だ」
「あなた一人よ。私はもう、喋る植物みたいなものだもの」
「ごめんよ」
‥だから。どうしてあなたが謝るのよ。
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冬がやってきた。
古屋の周りは雪で囲まれ、屋根に積もった雪で、家がキシキシと音をたてた。
積雪は、青年の仕事を停止させ、二人は一日中家にいた。
リコリスの25年間を語るには、十分な時間だった。
彼女が知りうることは、全て青年に語られた。
逆に青年の話には、過去も未来もなかった。
「春が来たら、雪がとける。雪がとけたら、魚を撮って、動物を狩る。たまに漁師や狩人がくる。そいつらを泊めてやる。町のことはいくら聞いてもよくわからない。そいつらが帰ると。俺はまた一人で暮らす。」
青年の小屋は、人里のない、川の分流の行き止まりにあった。海へ流れる本流とは別の、誰も船を進ませない流れだった。
「ここにはたくさんの動物が来るんだ。熊も出るし、狐も出る。鹿だってくる。猫や犬もいる」
「まるで絵本の中見たいね」
「ずっと昔からあるからな」
「ねぇ、あの棚にある本を読んでよ」
「ごめんな。字が読めないんだ。自分で読んでくれて」
「私が読むから、ページをめくって?」
「ああ」
強くめくると、崩れ落ちてしまいそうなその絵本のタイトルは『魔女の始まり』と書かれた本だった。
「あなた、これをどこで拾ったの?」
「ここにあったんだ。物心ついたときから」
「めくって」
‥‥むかしむかし、一人の魔女がいました。魔女はいつも一人でした。ある日人間の子どもがやってきました。どうやら迷って、親とはぐれてしまったのだそうです。しばらく、魔女は子どもと暮らしていました。魚を釣り、動物を狩りました。魔女ははじめて誰かといる楽しさを知りました。やがて、子どもの親が探しにきて、魔女はまた一人になりました。魔女は寂しさをり知りました。‥‥
長老がいつか話してくれたおとぎ話に、よく似ていた。いや、そのものと言っても良かった。
「この次の話を私は知っている」
とすると、ここは長老の家だったのだろう。絵本に書かれている事実と、この小屋の周囲の状況は一致していた。
冬はまだ始まったばかりで、絵本の束はまだたくさんあった。
2020年7月27日
『魔女の告解室vol.12』
taiti
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