値踏み
こんばんは!親子丼です。蝉が鳴き始めましたね。いつもあっという間に終わってしまうくらいの夏が今年もやって来てくれました。
突然ですが、遺品整理ってしたことありますか?私は最近始めたので、それを書こうと思います。
栃木県で1人暮らしをしていた私の祖母は、亡くなって以降、年に数回母が業者に頼んで遺品を整理していた。
しかし私の友人が、たまたま栃木の実家に帰って就職することになり、しかも軽トラ所有(荷物が沢山詰める)という美味しすぎる展開のため「親子丼とその子で、片付けしてきてよ!」と母から頼まれたのだ。
祖母の家までは新宿からバスで90分。
都内から高速に乗り、60分としない間に車窓はみるみる田んぼだらけになっていく。
バスターミナルに着くと、友人がお気に入りの軽トラで登場する。私が雨女だから、だいたいしとしと濡れた道を10分くらい走って、家に着く。
整理の始めたては整然としていた。けれど、ひとたびタンスを開ければ一段一段びっしりと物が詰まっていて、出せば出すほどどんどん散らかっていく。
祖母は根っからの着道楽だったので、とにかく服が多い。次に鞄と靴のオンパレード。古着好きの友人は1日のうちに何度も試着して、楽しそうにしているけれど、あまりにも多すぎて、だんだん黙々とゴミ袋に服を入れるようになった。
その友人と2人で過ごす1日は私にとって不思議な時間だ。私が幼い頃から夏を過ごした家を、最近出会った人がうろついている。
出てきた服を鏡の前で試着し合って、これは似合う、似合わないと騒ぎ立てたり、出てきたフィルムカメラにフィルムを入れて写真を撮ったり、母の日記を音読したり、叔父のレトロ玩具がいくらになるのか調べてみたり。時には着物好きな友人のお母様が来て、大量にある祖母の着物道具を持って帰ってくれる。
私にとってはガラクタなものも、友人にとっては宝物らしい。
2人で出掛ける時は仏頂面なくせに、この企画の日は朝から話しかけてくるし、家では目を輝かせて掘り出し物を選別している。「これ似合う?」と何度も聞いてくるし、1日の終わりにはその日の掘り出し物でトータルコーデを30分かけて撮影し、インスタに載せるのがお決まりのパターンだ。母が帰省時に来ていたポロシャツを友人が着てスマホで撮影していると、変な気持ちになる。
もし私ひとりだったら、これほどスムーズに物事は進まないだろう。
友人に比べて果てしなく体力が無いし、生前祖母がお気に入りで見慣れた服が出てきたり、下着についた強めの残り香を嗅いだりすると、どうしても祖母を思い出して胸が締め付けられてしまう。だが隣で友人が私の顔色お構いなしに「ブックオフ行くぞ!」「このシール、高値で売れるんじゃね?」とワクワクしてくれているおかげで、楽しい時間になっている。
友人は私の顔立ちが、とにかく可愛いと思えないらしい。しかもそれをご丁寧に私に直接伝えてきて、その発言をした回数分、お気に入りの軽トラに鳥のフンが落ちてくれることを、私は心から願っている。そんな友人が、家ではフィルムカメラを構えて私のことを何枚か撮影して、「現像楽しみだね」とこぼしている。
母や叔父にとってこの作業は酷だと思う。祖父は2人がまだ20代前半の時点で他界している。母は祖母が大好きだったので、きっと今でも死を受け入れられていない。だから、なるべく祖母の家を私が片付けて母を楽させることは子冥利に尽きるし、成人式で振袖を新調してくれた祖母への恩返しにもなる。
加えて、母や私がガラクタだと思っていたものを、赤の他人である友人が価値があると判断して売りに出したり、なにより私物として持って帰って使ってくれたりすることが、なぜかとても嬉しい。
人は、値踏みされるものではない。値が付いて売れたらモテる、付かなかったらモテない。そんな簡単な存在であってたまるかと思う。
家族の価値も、自分の価値も、誰がなんと言おうと、自分にとって価値があればそれは揺らがない。
けれど、誰からも判断されることなかった祖母のセンスが、赤の他人である友人から褒められると嬉しいし、自慢や自信になるのだと思った。家族を誇らしく思えることは、決して当たり前のことではないと思う。悔しいが、友人のおかげだ。
私と友人は、何か一緒に仕事をしたり学校で勉強したりしたわけではない。友人の友人ポジションなのだが、不思議と偶然会うことも多く、気づけば、お互い喧嘩するほどの仲になった。周りからは、「小学生の喧嘩するなら、もう会わなければいいのに」と言われるが、喧嘩できるほど言い合える人も他にいないので、大人では珍しく腹を割って話せる存在ということで、だらだらと1年くらい続いている。気づけば信頼関係も芽生え、今ではお互いの家に行ったり、互いの母親に会ったりするまでなった。うむ、関係がやはり小学生すぎる。
周りからは2人はいつも喧嘩してるね、と思われても、本人同士は心から信頼し合っていたり。2人とも他人と話すのが大好きで、明るく振る舞うことが多くても、2人きりの時は全然話さず暗くて苦しい話も多かったり。
普段本を進んで好まない母が、日記をたくさん書く人だったり。知らない祖母の服がどんどんたくさん出てきたり。
目に見てすぐわかる関係性、目に見たものだけで判断するその人のイメージ。それだけで、まるで全てをわかった気になったふりをする人は世の中にたくさんいる。
でも、世の中そんな簡単には値踏みできないし、見えているものより、見えていないもののほうがきっとたくさんあって、見えているものも事実だけど、本当のものにたどり着くためには、見えていないものを見つけることが大切なのだと、改めて思った。
顔が可愛くないとうるさいし、よく不機嫌になることもあって、正直もう嫌だ!と何度も思った友人だけど、「見ろよ!!これ高く売れそうだぜ!」と祖母の遺品を楽しそうに、価値あるものとして値踏みしている姿を見て、この人のことはもう少し、値踏みしないでおこうかな、と思っている。
めちゃくちゃいつもありがとう。もう完全に、君にしか頼めない仕事なんだ。
次回は9月に遺品整理を開催予定。