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父は4年前、 介護老人保健施設入所中に 日常生活をひとりで送ることができない 要介護4の認定を受けていた。 父も含めて家族で話し合い 在宅介護は難しいと判断し 新型コロナ感染症が蔓延する少し前に 有料老人ホームに入所した。 自宅からはかなり離れているけれど 医療従事者の妹夫婦の勤務する病院に附属する施設で 妹夫婦が度々訪問することが可能で 医療的措置が必要な時は妹の病院に入院するので、様子がよくわかり安心という理由だった。 大きな個室に家族の写真や ラジカセ 好きだった
転倒して骨折し、手術入院したあと 身体を動かすことが不自由になり 自動車免許を返納し 細々と営んでいた自営業の店を 弟嫁に譲って ひとりで暮らす母。 人前に出ることも少なくなっていたので 一時は毎週美容室でセットしてもらったという母の髪の毛は 見事に真っ白になり 後ろひとつにまとめ髪が定着していた。 長くなったら自分で髪の先を切りながら 扱いやすい長さにしていたという。 母がひとりで後ろ手にして 自分の髪にハサミを入れる姿を想うと 心が痛くなった 母の白髪のまとめ髪姿は
電話の向こうの声が険しい その声のトーンで 電話の度に口論になった過去を思い出し、 一瞬緊張した どうしたの? 聞けば 久しぶりに妹が訪ねて来て ショッピングセンターで一緒に食事をしたけれど その後トイレに間に合わず 妹の前で服を汚すほど粗相をしてしまったらしい 妹が家まで送ってくれたけど、 そのまま帰してしまった さぞショックを受けたに違いない と心配している 妹は私より10歳若く 母としては 守るべき永遠のかわいい末娘 「あの子は私のことを年寄りと思っていないから
母に、排泄についての機能低下があることを知った。 トイレの心配が続く生活って かなり暮らしにくい。 外出に消極的になるだろうし、 やりたいことも諦めて意欲も失くす。 きっとプライドも傷ついてしまうだろう。 自分の老いを受け止めることは、 心身共に痛みを伴うことなんだと想像する。 身体機能や運動機能の変化は 認知症の進行を見立てる大切な材料。 認知症の進行を遅らせるための手立てを考える最大のパートナーは、ケアマネさん。 気づいたサインはシェアしなきゃ。 まずは、母を近く
要支援1認定の一人暮らしの母と私の記録を 少しずつ残しておこうと思う 父は80歳過ぎに転がるようにアルツハイマーが進んだ。 両親はだいぶ前に離婚したものの 弟が経営を引き継いだ自営業を 父と一緒に続けていたので その様子を近くで見ていた母は 一昨年職場を引退した後 不安を感じているようだと 弟から聞いていた 遠くに住んでいる私も 何かできないか 本格的に考えるようになり 一時は 帰郷して母と同居することも考えたが とりあえず 今の仕事を続けながら 年に数回長めの休みをと
一人暮らしの母の台所は 一度ボヤを出したために 心配した弟がガスコンロを閉鎖して その上に一口のIH調理器が備えてある 鍋もフライパンも小さくて 二人分の調理には大変😥 炒め物はちょっと大きめの鍋を使った 母は私に食べさせたくてたくさん食材を買っておいてくれたので いろいろ工夫して調理して 母ひとりでは絶対使わない とっておきの食器をどんどん使って 食事を楽しんだ 馬子にも衣装 沖縄の家庭料理の ナーベラー(へちま)の味噌炒めも ちょっと上品に見えて ふたりで大笑いし
一人暮らしの 母のマンションで 久しぶりに一緒に数日を過ごした 朝食は 母がゆっくり 丁寧に準備してくれたものをいただいた ある朝ふとベランダに目をやると 姫月下美人が咲いていた 朝なのに? 以前母が ピンぼけ写真を送ってきていたその花 二人のために咲いたのかな?
要支援1認定の一人暮らしの母と私の記録 一昨年転倒して腰椎骨折した母は コルセット着用のリハビリ生活となり、 弟の勧めに仕方なく従って 自動車免許を返納した。 沖縄本土復帰前から 車一台で慣れない地を走り回って 商売を始めた母にとって、 自動車免許の返納は 大きな喪失体験だったと思う。 公共交通機関はバスかタクシー マンション近くには スーパーもコンビニもある暮らしだけど いかんせん 身体が思うように動かず 歩みは遅いし トイレは近いし 荷物はたくさん持てないし と
昼過ぎに電話すると元気な声 今日は暑いわよ~部屋の温度計は29度 と母 11月も半ばを過ぎて29度とは さすが沖縄 先日私が福島から送った柿が たちまち熟れて柔らかくなり スプーンで実をすくって食べたという しゃきしゃきの固い柿を食べさせたいから 次はクール便で送ることにしよう 何してたの? 明日ケアマネさんが来るから 座るところ作ってあげなきゃいけないのよ と母 一人暮らしの自分のためだけの掃除は 確かに気合いは入らない お客様席は普段は埋まっているらしい📚️