舞台「桜文」感想
ネタバレ注意です。
9月23日昼公演の舞台「桜文」を見てきました。
舞台観劇は初めてだったのですが、とても凄いものを見たという思いが日毎に膨らんできていることと、皆さんの感想・考察を見ることがとても楽しいことから、自分の感想も残しておこうかなと思い立ちました。
私がこの舞台を見に行こうと決めたのは、日向坂46の宮田愛萌さんが自身のメッセージアプリにてこの舞台をゴリ押しされていたためです。
また、最近ミニシアターで上映されているような演劇性の強い邦画にハマってきたこともあり、舞台というものに触れてみたいと思っていたためでもあります。
そんな半分不純な気持ちで見に行った舞台「桜文」はとても素晴らしいものでした。
第1幕は状況説明が主な印象。ゆうたろうさん演じる作家・霧野の近代文学論が印象的でした。キービジュアルやあらすじなどから花魁の悲恋ものという情報だけ得ていたのですが、割と自然主義や私小説というものへの思想が見え隠れしている様子。何か違うようだぞと少し首を傾げながら見ていました。
1幕で個人的に刺さったのは葵ちゃんです。「天才に届かない凡人」というキャラクターがかなり性癖なのですが、花魁道中も行い西条様からの身請けも決まっている、花魁としての「幸せ」を達成してもなお笑わないということで抵抗を示す桜雅という天才(語弊はありますが)には絶対に届かない、悲しいほどに普通の遊女の価値観で生きているのが葵ちゃんだと感じました。そのせいで悪気なく手紙を西条様に渡してしまうという、憎めず、だからこそ悲しすぎる結末が待っていたのですが……
また葵ちゃんが西条様を語る時には「お団子」という言葉が多いように思いました。振袖新造がどこまでするのか知識が無い状態で語って良いものかは分かりませんが、葵ちゃんは性行為を伴わずに無邪気に西条様を慕っていたのではないでしょうか。西条様に行為を求められた際にはどこまであのような好意を寄せられたのか……不毛な考えかもしれませんが気になってしまいました。
また1幕ラストの「指切りげんまん」も非常に興味深かったです。皆さんの解釈・考察を見ていると目を突いた後の桜雅が羅生門河岸の婆という説が多いのですが、初見で筋を理解していない私は異界の干渉だと解釈し、ワクワクしていました。
あの婆が異界の第三者とすることで霧野と桜雅の約束を見届ける役割をする事が出来るのではないでしょうか。
続く第2幕は過去編。笑わない花魁として悲しい結末が待っている桜雅の若き日はとても苦しかったです。また千太との会話の中で1幕で聞き覚えのあるセリフが何度か登場し、似ているのは目だけでないんだなとこちら側にも分からせる演出が凄い。
また観劇の少し前に河合隼雄の「物語を生きる」を読んでいたのですが、初見世の際にお得意である老人が桜雅を抱くシーンには「物語を生きる」で言及されていた、落窪物語にて落窪の姫が老人に犯されそうになるという話と近しいものを感じました。
「若い女が意に反して老人に抱かれる」という構造は悲劇性を強める意図が主だとは思いますが、創作に見られるこうした構造が落窪物語の影響を受けているのだとしたら古典の力とは凄いものだと感じました。
そして桜雅の過去が明かされた所で霧野の時間に戻ってきて大オチへ。
違ってたらめちゃくちゃ恥ずかしいんですが横槍による悲しいすれ違いは「ロミオとジュリエット」や「シラノ・ド・ベルジュラック」を感じさせる非常に古典的なものでした。ただここで今作が焦点を当ててきたのは、花魁の悲恋というものに終始しない、「書き手の業」というもの。
書き手は時に周囲を巻き込み犠牲にしてまで物語を創るという業を悲恋の物語に巻き込むことで凄みを感じます。一幕目での文学理論によって文学的な方面へ引き付けられた話はこういう方向へ進むのですね.......
恥ずかしながら私はここまで千太の目と霧野の目はあくまでパーツの造形として似ているのだと思っていましたが、この場面においてようやく純粋な気持ちがもたらす精神的に桜雅を救う「目」なのだと気付きました。まあミスリードでもあるのだと思いますが.......
また霧野を指した時に羅生門河岸の老婆の声で「指切った」と聞こえたと思うのですが、発狂の末に至る狂業としてここで幻想を用いるのかと驚きました。
ラストシーンの解釈は色々あるようですが、私が観劇した時には映画「レ・ミゼラブル」のラストのようなファンサービスの側面が強いのかなと思いました。
ただ、言葉を取り戻して自分の物語を清算した霧野と吉原遊女を見守り代筆を続けた桜雅が現世(?)で遂に結ばれたという解釈も納得のしやすいものだと思います。
また、ここまであらすじに注目して追いかけてきましたが、主演のゆうたろうさん・久保史緒里さんを筆頭に俳優陣の演技も素晴らしいものでした。
特に久保さんに関しては、元々乃木坂のファンであったためアイドルの演技力というものに期待をしていなかったのですが完璧に裏切られました。
ギリギリに取ったこととU25チケットであったことから席はほぼ最後列で表情を見ることこそ出来なかったものの、笑わない花魁・桜雅としての毅然とした美しさや2幕序盤での天真爛漫な笑い、ラストでの発狂した笑い声などは目を見張るもので非常に印象的でした。
書き足りないことや理解・解釈不足の部分、文章の整合性など突っ込み所は多々ありますが、これで私の桜文感想は終わりです。
初めての舞台体験に余りある素敵な舞台をありがとうございました。