令和2年4月25日フェルデンクライスメソッド オンライン感想
フェルデンクライスのオンラインレッスンを受けた。
プラクティショナーの指示に従って自分自身で身体を動かしていく(多くの場合グループで行う)ATMと、直接身体に触れて動きを与えてもらうFIがあって、自分は両方経験している。リモートであるからもちろん今回はATM。肉体に関するレッスンであるのにそこに実体がないリモートでレッスンを行うという試みにどうなるんだろうと思っていたが、結果的にはすごく満足。
フェルデンをやると皮膚を通じて身体全体、そしてそれが過ぎると肉体の外側から自分を観察している感覚になるのである意味、幽体離脱(したことはないが)している感じ。その感覚はネットを通じて離れている場所からリモートして繋がっているこの状況とマッチしているようで面白かった。情報をやりとりしているという点できっとLANの仕組みと人間の神経はどうやらリンクできるようだ。
フェルデンクライスが面白いなと思うのはいつも本題のテーマとは別の箇所を意識することになるということ。例えば頭の向きを変える動きをしたのであったら、そのゆっくりとした動きの連続の中に骨盤、そしてさらに足の先へと動きが生じていいることに気がつく。最初は身体のむず痒さと息苦しさを感じていたとしても、その新しい感覚を何度も試しているうちにそれはすっかり意識の蚊帳の外へ追いやられ、残ったのは夢中に動きを繰り返す自分。
それはいつも車で通る見飽きた道をゆっくり散歩して歩いたら、ここにこんな店があったのかと新しい発見に対して好奇心を掻き立てられるその感覚に近い。人間の脳は燃費の悪さからエネルギーを節約するために一度目に見たものは記憶の中の画像を引き出しているにすぎず、本質的にものを見ることをやめてしまうらしい。だから使い慣れて一番知っていそうな自分の身体が、実は一番見えていないものかもしれない。
その自分なりの発見は実生活に対するTipsとして一つの思考のアイディアを生んだ。ある変えがたい重大な問題を抱えてるとしたなら、そこにばかりフォーカスするのではなくその問題はどこから繋がっているのか観察して別の部分からアプローチする。ある意味、問題から目を逸らしてもいいのだと。他の対処できそうな問題から取り掛かかればおのずと答えにたどり着く可能性を示唆した。それにはやはり落ち着いて客観的に観察するという行為は欠かせない。こうでありたい、こうであるはずだ。それ以外は認めたくない、とかそういう感情は一回捨てて。
ひとつ好きな点が必ずコンスタントに休憩をしながらレッスンが進む点。飽きがこないし、この動き嫌いだなとか、難しいなと思っても休憩を挟むとできるようになってたりするあたり。休憩の間に脳が勝手に整理してくれるらしい。頑張るとか反復練習とか整理整頓が嫌いな自分にとって脳が勝手に学習してくれるなんて、こんな楽なことはない。
最後に、矛盾しているようだけど、このレッスンで行われる動き自体は身体の悪い箇所を治療しようとする目的に則してはいない。ただ、自分にとって動きの軸がどこになっているんだろうとかここを使えばもっと楽に動けるなとか、悪い箇所をどう補ったらいいのかというヒントを与えてくれる。人それぞれ軸になる箇所は異なる。だから一般的にはそこが動かないからダメであると言われていたとしても、新しい軸を自分自身で設定することができる。何か大きな壁に当たっているとしたら、こっちに抜け道があるよといつもヒントを投げかけてくれる。だから毎回同じことをやったとしても新しい発見があるから面白い。一つ一つ独立しているような事象もすべて関係性を持って繋がっていることに気付かされた。色々と焦りすぎていた日々なのでちょっと遠回りしてみようかな(いつ着くのやら)。
今回受講したのは岐阜県郡上八幡にあるアウェアリウムという場所のオンラインレッスンで、5月にもオンラインでクラスがあるようなので興味がある人用にリンクを貼っておきます。→Awareum.com
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