子供が我々に支払うものとは!?
みなさん、おはようございます!こんにちは!こんばんは!公立小学校教員のむっちと申します。『日々楽習』を合言葉に、日々学び続ける教師・大人を目指しています。2児のパパになったことで、持続可能な働き方・学び方も、日々模索中です。よろしくお願いします!
はじめに
夏休みは、いかがでしたか?
我が家は、毎日のようにいろんなところに出かけることができました。
夏休み最終週は、泊まりがけで旅行に行きました。
一泊二日でしたが、充実した旅行になりました。
そこでとある場所に出かけました。
今回は、そこで感じたことを書きたいと思います。
その場所に対する非難になりかねないので、場所は伏せたいと思います。
「お金」を払うということ
当たり前ですが、何かを買うときやどこかに入場するとき、観覧・鑑賞するときには「お金」が発生します。我々消費者は、それに対して代金を支払います。これは、だれもが分かることです。
例えば、200円のお菓子と1200円のお菓子では、それに対する価値が変わってきます。また、それに対する「期待感」も増すでしょう。
しかし、これだけの金額差があるにもかかわらず、味の違いや満足感を得られなければショックを受けるでしょう。
お菓子以外でも、それぞれに値段が設定されていますが、その値段に対して自分に返ってくるものがふさわしいものか判断していると思います。
遠回りしましたが、少しずつ本題に入っていきたいと思います。
子供たちが払っているものがある!?
上述したようなことを考えながら、過ごしていました。(旅行を楽しめと言われそうですが笑)
そこで、教育に置き換えるとどうなんだろうと疑問が浮かんできました。
教育を受ける側の子供が支払っているものは何か?(支払うという表現が正しいかは分かりませんが、今回はそのままいきます。)
それは、「時間」ではないでしょうか。子供の頃の「時間」は、本当に貴重だと考えます。一日のほとんどを学校で過ごす子供にとって、「時間」は本当に貴重ですよね。
その貴重な「時間」を払っている子供に対して、その「時間」という価値あるものに対して見合う教育ができているのか!?
ふと疑問に思い、考えれば考えるほど怖くも感じました。
だからこそ、学び続け、成長する教師へ
言い方が正しいかは分かりませんが、子供が支払っている「時間」に対して、それに見合う「教育」を提供できているのか?
「質の高い」「子供たちが成長を実感できる」「学ぶ喜びを感じることができる」そんな教育、学びを提供できるように私は、もっともっと成長したいです。
30歳が見えてきた今だからこそ、余計に強く感じるようになってきました。「このままじゃダメだ」というような焦りもあります。
しかし、最終的には目の前にいる子供のためです。全ては、これからの時代を生きる子供たちのためです。
ぜひ、これを読んでくださっている方、SNSで繋がってくださった方、一緒に学びましょう!一緒に学びを楽しみましょう!
今後ともよろしくお願いします!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!