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読みと訳
外国語として英語を学んでいて、英語が読めるようになることを目指す場合、当然ながら英語を読まなければなりません。このときの学習法として、従来は1文ずつ日本語に訳すという方法が採られていました。最近ではこうした方法は廃れてきているようです。廃れてきているといっても、訳し方を示さずにただ訳を教師が言うだけの授業になっているだけということもあるようです。
もちろん、文章全体の内容をざっくりとつかむことは大切で、こうした大づかみの方法は1文ごとの和訳では身につきません。しかし、こうした大づかみの結果が正しいかどうかを確認する手段がなければ読解力は深まりません。どこをどう読めばどう理解できるのかを考えるには文法力が求められます。こうした文法力は和訳によって身につけることも可能ですから、和訳を徹底的に排除する必要性は必ずしもありません。
逆に和訳を排除した場合は、和訳に代わる理解の確認の手段を持つ必要があります。それがなければただただ雰囲気で文章を読んだつもりになっているだけになってしまいます。和訳に代わる手段は教室では教師が考えてくれるでしょうが、独習ではそうはいきません。少なくとも今日本で売られている英文リーディングの独習書の多くは和訳でしか理解を確認する方法がありません。このため、読解の基盤となる文法知識を翻訳を通じて学ぶことには一定の意義があります。
もっとも、一部の英文解釈の参考書のように文法の形式的側面だけを強調しすぎるものも問題があります。形式的な側面だけでなく、意味や運用的な側面からの分析も当然必要です。