講師室ダイジェスト
今回もこのところの繰り返しになる、大学受験生についてのお話です。このところ予備校の講師室にいると、「英語が本当に点取れないのですが・・・」という生徒さんが私のところにやってきます。こうした生徒さんの学習状況から見た問題点は、共通するところがふたつあります。
ひとつは、英文法の学習を文法問題対策に矮小化させてしまった結果、文法問題すら解けないという状況に陥っていることです。英文法、とりわけ文文法の学習は、文(a single sentence)を理解し、表現するために行うものです。つまり1文レベルでの読解や作文ができるようになるために英語の文文法を学ぶのです。文レベルの学習をこう位置づけることで、文法問題もいわゆる「秒殺」の状態に至ります。ただし、この点は学ぶ側だけの責任ではなく、英文法の授業を担当する先生方の認識がそのようになっているためでもあります。もっとも、文法学習は文法問題のためのものという受験生の思い込みは根強く、全日制の予備校のように複数の講師が英語の授業を担当する場合は、講師間で英語の文文法の学習が文の読み書きのためのものであるという認識を共有しなければ生徒たちの学習観の変容には至りません。
もうひとつは、文法は理解するものであって、暗記するものではないと考えていることです。ことばを使うにはことばを知らなければなりません。ことばを知っているとは、脳の中にその知識があることを言います。この状態を実現するには知識を覚えなければなりません。理解はそのための手段に過ぎません。これも学ぶ側の責任だけではありません。「英語は暗記ではない、理解だ」といったキャッチフレーズが受験英語の領域で人口に膾炙していった結果であると言わざるを得ません。ことばをいじくり回しているうちに自然に記憶に定着していく一部の学習者にとっては意識的に行うのは理解だけでよいのかもしれませんが、多くの学習者はそうではありません。特定の認知様式(=脳が物事を捉える時の、その人の癖のようなものです)をもった人にだけ当てはまるものを、すべての人に当てはまるかのように大教室で語られてきた受験英語言説が、いま受験生を苦しめています。
こうしてみると、「英語ができないんです」と言ってくる生徒さんに「お前が勉強してこなかったのが悪い」とも言い切れないなと感じています。受験生が正しい学習観を持つように導いていくことも、私たちの使命であると改めて思い知らされます。
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