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受験勉強と日本語

今回は受験勉強における日本語についてのお話です。受験勉強のやりようによっては日本語が崩壊してしまうかもしれないということを述べていきます。

英語学習の場合、文法や熟語を学ぶときに不自然な日本語表現と結びつけて覚えてしまうことがよくあります。単語を覚えるときも意味がずれている英語と日本語を結びつけてしまうことがよくあります。実はこの影響は最近になって始まったことではなく、明治以来ずっと続いているものです。このため、訳語として時折現れる日本語を「間違った日本語」として排除することはもはやできません。中学や高校の国語の教科書に載る近代文学の作品にもその影響があります。それでも、翻訳ではない、日本語母語話者がふだん話したり書いたりする日本語とは少し違うということに気づくことは大切なことです。母語である日本語を活用して日本語を学ぶのであれば、自然な英語と自然な日本語を突き合わせて学ぶべきです

小論文対策の場合、文章を論理的に書こうとするばかりに、接続語を過剰に使ったり、なくてもわかる語句を必要以上に繰り返すことがよくあります。論理的な文章の理想は読み手に余計な負担を掛けずに書き手の意図した内容を理解し、その内容に納得してもらうことです。そのためには日常生活、社会生活のなかで自然に使われている日本語から逸脱しないようにしながら論理性を保つことが必要なのです。このような日本語の使い方を身につけるには、日本語の文法を現代日本語の実態に即して学ぶ必要があります。

こうした点に留意した学び方を考えていくと、ことばを比較対照のなかで学んでいくことの大切さが浮かび上がってきます。日本語と英語の比較対照、現代日本語と古語との比較対照、現代日本語と漢文の書き下し文との比較対照を通じて、その共通点や相違点に気づき、それぞれのしくみを学んでいくことが可能になります。こうした比較対照を通じて本質に迫るような学びを経ない場合、それぞれを不適切、不自然な結びつきのまま覚えてしまうことを積み重ねていくことになり、英語の読み書きはできない、小論文でも読みにくい日本語の文章となり、古文や漢文は読んでもなんだかしっくりこないという状況から脱却できなくなってしまいます。

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