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ことば:いま、ここにある驚き

今回は少し大きな視点からのお話です。一言で言うと、「違うことばに触れたときに衝撃」についてです。

人間が生まれ育った環境で自然に身につける言語を「母語」と言いますが、この言葉は「母のことば」を意味することからわかるとおり、母親をはじめとする周囲の大人のことばに触れることで身につけていきます。家族、近所の人たち、友だちと接触することで身につけるこの言語は日常会話のための言語です。コミュニケーションはことばだけで成り立つものではないですし、日常的なコミュニケーションではことば以外の要素に依存する割合が特に高くなります。「空気を読む」とよく言いますが、そうした空気感に依存することが多いのです。この場合、ことばを正確に使おうとか論理的に使おうと意識することは稀です。雰囲気で伝わるからです。

「おーい」
「冷蔵庫にあるでしょ?」

こうして爺さんは自分で冷蔵庫からビールを取り出すのです。

大人が大人に対して書くような、社会生活を営むために書かれる文章は、日常会話とは違ったことばが用いられています。同じ日本語ではありますが、ふだんから顔を合わせていて阿吽の呼吸で通じる相手とのコミュニケーションではないので、「言わなくてもわかるでしょ」とはいかないことが多くなります。そのため、ことばをより正確に、論理的に使うことが求められます。このときに私たちは日本語を初めて意識的に捉えるのです。少し古い文章には文語体で書かれたものもあり、こうした文章を読むときに日常のことばとの違いを否応なく意識させられます。さらに英語のような外国語に触れると日本語との隔たりを実感することになります。

このように日常言語とは異質な言語に触れると、日常言語を意識することになります。日常言語を日常的に使っているだけでは気づかないことをいろいろと気づくようになります。このことがまた、日常のことばを豊かにし、公的な場面でのことばを効果的に使いこなし、外国語学習の基盤にもなるのです。こうした気づきを促していくのが教室での「ことばの学び」です。国語や英語の授業で学ぶ基礎の基礎と言えるでしょう。

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