ドアあからへん! ぴちっとしめやんとこ!
先日、家のトイレのドアの取手が取れて、しっかり閉めるとドアが開かなくなってしまう状況になりました。その時に母が言っていた言葉です。ちなみにアクセントは
[ド]ア [あか]らへん! ぴ[ちっ]と しめやんと[こ
です。この一瞬の言葉のなかで、個人的注目ポイントが二つあります。
一つ目は「あからへん」
「開かない」や「開けられない」という意味で、「あからん」とも言います。終止形なら「あかる」、過去形なら「あかった」となります。
が、母が否定形以外の活用形を使うのはほとんど聞いたことがありません。母に直接聞いてみたところ、以下の回答を得ました。
・「あかる」「あかるやろ」→「自分では言わないけど、言う人もいる」
・「あかった」「あかって」→「言わない。『あいた』と言う」
ただ、親戚が「あかった」と言っているのを聞いたこともあります。「あかった」も湖東地方の方言として有り得ないわけではないようです。
他の活用形に比べて、なぜ否定形は比較的よく使われているのか。ふと思ったのは、「開く」をそのまま否定形にした「あかん」「あかへん」だと、「ダメ」という意味の言葉と被ってしまうということ。アクセントも全く同じです。同音異義語です。
文脈では区別できるとはいえ、日常的に使う言葉が同音異義語だと、別の言い方で区別しようという作用が自然と働きます。例えば、大阪では五段動詞の不可能表現を「行かれへん」「読まれへん」のように言うことが多いですが、これは大阪では「行けへん」「読めへん」を「行けない」「読めない」ではなく「行かない」「読まない」という意味でも使うことがあり、「行けへん」「読めへん」では意味がどちらとも取れるため、不可能であることを強調する時には「行かれへん」「読まれへん」が好まれる、とされます。
確証はありませんが、「あかる」「あかった」があまり使われない一方で「あからへん」「あからん」が比較的よく使われるのも、同音異義語を区別しようとする作用が無意識に働いた結果と言えるかもしれません。
二つ目は「しめやんとこ」
「閉めないでおこう」という意味です。「あかる」の否定形は「〜へん」だったのに、「しめる」の否定形は「〜やん」になっています。
五段動詞だと「〜へん」でそれ以外だと「〜やん」という風に否定形を使い分けるのは、三重県・奈良県・和歌山県などの言い方とされてきました。「できやん」「食べやん」「しやん」「こやん」といった具合です。
滋賀県では「〜やん」は使われず、「できひん/でけへん」「食べへん」「せーへん/しーひん」「こーへん/きーひん」が一般的とされてきました(高齢層だと「〜やへん」や「〜やせん」)。私もそうです。
しかし、現に私の母は「しめやん」と言いました。どういうことなのでしょうか。
実は「〜やん」は、奈良県・和歌山県から大阪府へと使用地域が広がっています。
参考:関西若年層の新しい否定形式「-ヤン」をめぐって(鳥谷善史、2015年)
大阪は関西の経済文化の中心地であり、大阪で起こる言葉の変化は関西一円に影響を与えます。母は大阪方面と直接関わりはありませんが(三重・奈良・和歌山とも)、日頃から大阪のテレビ局のバラエティ番組をよく見ています。芸人やコメンテーターが「〜やん」を使っているのを聞いて、知らず知らずのうちにうつったのかもしれません。
もっとも、「〜やん」を使う頻度は高くありません(珍しい現象だと思ったから今回注目した次第)。確認したところ、母自身も「〜やん」を使っている自覚はないようです。
また、「しめやんわ」「しめやんかった」のように終止形や過去形の時に「〜やん」を使うのは聞き覚えがなく、あくまで今回の「〜やんとこ」のように連語的な場面に限られます。
このまま限られた場面でだけ細々と「〜やん」が使われていくのか、三重県・奈良県・和歌山県のように幅広く「〜やん」が使われるようになっていくのか、それとも「〜やん」は一時的な流行で終わるのか。関西弁の変化に目が離せませんね。