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伯夷と叔斉のワラビ
両親の兄か弟を「おじ」と呼びます。しかし、漢字は2種類あるんです。伯父と叔父です。どちらかが父母の兄、どちらかが父母の弟を指す言葉として、明確に使い分けられています。これがややこしい。伯も叔も日常生活ではあまり使わない字であることもあってか、なかなか頭に入って来ないんです。だから、いざ書こうとすると「どっちだったっけ」となる。
そんな私に、世界史に詳しい友人が助け舟を出しました。
「『伯夷・叔斉』で覚えればいいんだよ」
伯夷と叔斉は中国の兄弟です。時代としては殷代末期、つまり3000年くらい前にいたとされています。賢人とか聖人とか言われ、何千年も言い伝えられてきたようです。
父親は王だったとのことで、当然ながらいつかはどちらかに王位が譲られる運命にありました。父親は弟の叔斉に王位を譲るとの遺言を残し、兄の伯夷はそれに従いました。しかし、叔斉は「兄さんを差し置いて自分が王になんてなれません」と、王になろうとしなかった。普通は欲しがるはずの王位を兄弟は譲り合い、結局はふたりとも国を出てしまったようです。国はどうなるんだという話ですが、伯夷と叔斉の間にも男の子がいまして、その子が王位を継承したとのこと。
その後、ふたりは殷という国の紂王のもとを尋ねますが、やがて見切りをつけ、周という国にいる文王という、立派な王のところに身を寄せます。しかし、文王の死後、息子の武王がすぐに兵を起こし、紂王を討とうとします。伯夷と叔斉は「父親の亡くなった直後に兵を起こし、紂王を討つのが正しいこととお思いですか」と注意したそうです。普通はこんな状況で注意するなんて大変なことであり、伯夷と叔斉も殺されかけましたが、周の軍師による「彼らは正しいことを言ってるじゃないか」とのフォローにより、どうにか生き延びたようです。
結局、武王は紂王を討ち、周の天下となります。伯夷と叔斉は周でできた食べ物を口にすることは恥だと考え、首陽山でワラビを食べる生活をしていましたが、やがて餓死したとされています。それを後の人々が「仁を求めて仁を得た人たちだ」などと評し、妥協せず信念を貫いた兄弟として長らく知られるようになったとされています。
そして、それが伯父・叔父として現在も残っているわけです。伯夷が兄で叔斉が弟ですから、伯父が兄で叔父が弟というわけですね。なるほど、これは覚えやすい。あれだけ苦労していた伯父と叔父がスッと頭に入りました。
しかし、それはそれとして気になったんです。伯夷と叔斉が「もう周の食べ物を口にするのはやめよう」と言い、ワラビを食べて餓死した「首陽山」です。これ、どこにあるのでしょうか。少なくとも周の外側にあるのだろうと想像はできます。
中国語版のウィキペディアによりますと、首陽山がどこなのか、いくつかの説があるようです。
・山東省 濰坊市 昌楽県
・山西省 運城市 永済市 蒲州鎮
・河南省 洛陽市 偃師区
・甘粛省 定西市 渭源県
・河北省 秦皇島市 盧竜県
・陝西省 西安市 周至県
何しろ、伯夷と叔斉が生きていた時代は数千年も前の話です。記録が残っているだけでもすごいレベルであり、諸説あるのは仕方のないことでしょう。
とりあえず、上の6箇所をグーグルマップで調べまして、周の領土と照らし合わせてみたんです。すると、どうも周の領土内っぽく見える。もちろん、どこまでが周の領土かというのも諸説あるでしょうし、渭源県ならば周から出てるようにも見えるんですが、他はかなり微妙です。何なら、確実に周の領土内になっている場所もございます。
ちょっとこれは面倒なものを引っ張り出してしまいました。せっかく「周のものは食べないようにしよう」などと己の信念を貫いた伯夷と叔斉ですが、周で採れたワラビをモシャモシャ食べていた可能性が出てきたんです。
もちろん、上記出典元には「周の粟を食むことを拒み」との記述がございます。「周で採れた粟は食べないと決めた」ということなんでしょうけども、「じゃあ粟はダメでワラビはいいのか」という話になってしまいます。「信念を貫いた」とハッキリ言い切るためには、周のものは土だって口にしないレベルは必要でしょう。
それから、首陽山があるとされる場所の中にはギリギリ出てるようにも見えるし、ギリギリ入ってるようにも見える地点がございます。これもまた微妙なんです。伯夷と叔斉がそんなギリギリを狙ったとすると、日によって周のものを食べたり食べなかったりしている可能性が出てくるんです。日によって信念を貫いたり貫かなかったりするのは、伯夷と叔斉にとっても本意ではないでしょう。何なら、周のワラビを毎日食べる生活より適当に見える。これはまずいです。ちゃんと周以外のワラビを食べたかったはずなのに。
なんだか突き詰めれば突き詰めるほど、伯夷叔斉伝説にちょっとずつ泥を塗っている気がしてくるんです。私としては、伯夷と叔斉を汚す気は全然ありません。ただ、ふたりが確実に信念を貫いたと分かれば、個人的にはスッキリするだけの話なんです。そして、私はスッキリしたい。
タイムマシンができたら伯夷と叔斉に「もうちょっとこっちのワラビのほうがいいっすよ」と導く係をやりたいと思います。そのためならば古代中国語をマスターする覚悟です。