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昔ながらのアヒージョ

 とある街の中華料理店は「昔ながらのラーメン」と書かれた看板を掲げておりました。言いたいことは分かるんですが、よく考えるとラーメンは中国の料理なはずで、どこかの段階で来日し、根付いたはずなんです。調べたら江戸時代末期に移り住んだ外国人によって伝わったとのことです。

 そう言えば、「昔ながらのカレーライス」みたいな売り文句も見たことがあります。あれも明らかに外来勢です。調べたら幕末から明治初期くらいに日本へ入ってきたようです。時期としてはラーメンとかなり近い。

 つまり、「昔ながら」とは言ってますけれども、何だかんだ途中から入ってきてるわけです。古代日本から脈々と伝わったものではない。明治時代の人からして見たら、「昔ながらのラーメン」なんて言われた日には、何の冗談かと思うことでしょう。「それは昔のもんじゃねえ」とバッサリいかれるに決まっています。

 一方で「昔ながらの古代米」とは言わないわけです。ラーメンやカレーより遥かに昔のものなのに。「昔ながらのマンモスの丸焼き」なんて売り文句も現代にはない。実際に検索してみたところ、マンモスはともかく古代米は現在も販売されているのに、「昔ながら」みたいな売り文句はございませんでした。

 つまり、「昔ながら」という言葉は、昔のものに何でもつければいいというわけじゃないんです。そんな単純なものではない。そうではなくて、今まさに生きている我々が懐かしめるものにしか、「昔ながら」がつかないんです。

 そう考えると、ラーメンやカレーに「昔ながら」とつけると明治の人が「何言ってんだよ」と思うように、今の我々が全然懐かしさを感じない、むしろ新しめの食べ物だっていつかは「昔ながら」という売り文句で紹介される日が来るかもしれないんです。「昔ながらのアヒージョ」とか、「昔ながらのトムヤムクン」とか、「昔ながらの培養肉」とか。

 いや、世の中はそう単純なものではありません。ファッションの流行は20年ごとに繰り返すとまことしやかに言われています。食べ物だって何十年とか何百年とか、それくらいの周期で流行が繰り返す可能性がある。「古い食べ物が逆に新しい」なんて、なぞなぞみたいなことを言いながら、古来より日本に伝わる食べ物が若年層にウケて、再び人気が出てくるかもしれないんです。そうです、空前の古代米ブームです。

 そんな温故知新ブームもいずれは沈静化し、それから数十年が経つと、伝統的な店構えのレストランでは、こんな看板が掲げられるはずです。「昔ながらの古代米」と。

 「昔ながらの古代米」が販売される頃、私は生きているか分かりません。ひょっとしたら、来世で出会う運命なのかもしれない。とにかく、いつかは「昔ながらの古代米」を食べることになるはずです。

 今から楽しみです。

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