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昔が不意打ちしてくる

 先日、とある古本市で「ただでいいよ」と言われ、1冊の本をホクホク顔でもらってきたんです。生態学の入門書なんですけれども、奥付を見たところ、50年以上前に出版された本でした。

 中古の本を「古本」とは言いますが、マジで古い本でした。ここまで古いと、書かれているのは生態学の入門書としての情報だけではなくなります。当時の生態学について書かれた、歴史的資料の側面も出てくるわけです。現代の生態学本では決して書かれない内容が、この50年前の本には書かれているかもしれないわけで、それは貴重な情報です。ただし、50年前の本となると、その古さがデメリットとなる場合もございます。

 まず、そもそも使う漢字が古いんです。「幅」を「巾」と書いたり、「闘争」を「斗争」と書いたり、まあまあ読みづらい。出版されて半世紀以上も経ってるせいで、ちょっと古文書になりかけているんです。

 時代が違えば価値観だって異なります。だから、ビックリするようなことが書かれいる場合があります。今じゃヤバすぎて誰も本で書かないような、エッジが利きすぎたブラックジョークですとか、現代の大臣が言ったら一発で首が飛ぶレベルのセクハラ発言ですとか、そういう文章が紛れ込んでるんです。生態学本みたいな専門書でそんなこと書く人がいるのかという話なんですが、著者も自分の専門ばかり書いてると飽きてくるのか、忘れた頃にぶっこんで来るんです。いきなり昔の思い出を振り返り始めたなあと思いきや、すごいことを語ったりする。告発してるつもりでもないのが、価値観の違いを感じさせます。

 例えば、亡くなった先輩や同僚の思い出に華を咲かせている時です。専門的な本を出せるくらいの専門家は、まあまあ年を重ねています。だから、今は亡き研究仲間たちとの、在りし日の思い出をしばしば書くんです。しかし、私がもらった50年前の本では、とある専門家について紹介する際、「〇〇年に××にて爆死」と書いていたんです。死因が書かれていたのもビックリですが、爆死とはなおビックリです。ご丁寧に没年月日まで書かれており、ちょうど終戦間近だったことから、いわゆる戦死だったと思われますが、現代の専門書では見たことのない記述です。

 古い本のデメリットは他にもあります。価値観も古いですが、書かれてる情報も古いんです。当たり前ですよね。ただ、科学は日進月歩なんて言われますから、50年前となると相当な過去です。だから、今では間違っていると判明した学説が、まだ正しいものとして書かれていたりするんです。私もそれは分かっていましたから、例の50年本も気をつけて読んでいたんですが、その中にルイセンコの名を見つけて思わずテンションが上がってしまいました。

 ルイセンコはロシアの生物学者、農学者でありまして、ソ連で農業関係の指導をしていた人物です。異なる品種を接木させて新種を作る手法を開発したり、植物を低温の状況下にしばらくおくことで開花や発芽を誘導させる「春化処理」を確立したりと、主に植物方面で功績がございます。一方で、科学者なら誰もが認める遺伝学を否定し、代わりにオリジナルの変な科学を主張、そのヤバげな科学に基づいて開発した農法を多くの農家にやらせた結果、ソ連の農業にキッチリ大打撃を与えてしまったため、現在に至るまで猛烈にいじられている方でもあります。

 ウィキペディアによると、そんなルイセンコの手法は戦後日本でも紹介され、「いいじゃん、日本も取り入れようよ」「ダメだよ、あいつ結構ヤバいし」みたいな論争が起きたようなんですが、他にいい手法がいくらでもあったので、結局は取り入れられなかったそうです。取り入れていたら日本の農業もちゃんと大打撃を食らっていたはずで、危ないところだったとも言えます。

 そんなルイセンコが50年本でチラッと出てきたので「おっ」と思ったんです。著者が「ルイセンコ農法を取り入れるべきだ」「ルイセンコ最高、ルイセンコ最高」「あなたも私もルイセンコ」みたいな熱狂的ルイセンコ支持者だったらどうしようと、ワクワクしながら読み進めていたんですが、結局50年本の著者はルイセンコの熱狂的支持者でもなければ圧倒的反対者でもなかったようで、「ルイセンコはこう主張しているが、合ってるかどうかは微妙」という立ち位置でございました。見慣れない理論に慎重なのは、科学者としては決して間違った立場ではありませんが、変に期待してしまった私は勝手に肩透かしを食らった気分になりました。しかし、今では激ヤバ学者みたいな扱いのルイセンコが専門書でサラッと出てくるなんて、古い本はなかなか侮れないなと思った次第です。

 古い本のデメリットとか書きましたが、改めて読み返すと明らかにデメリットで遊んでますね。失礼しました。

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