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笑いに関する名言集――秋のチャップリン祭り

 「名言」で検索すればお分かりの通り、世の中は膨大な名言であふれているんです。最寄りの図書館サイトで検索をかければ、きっと名言集がたくさん出てくるはずです。だったら、笑いに関する名言集がネットの隅にあってもいいと思いまして、こうしてひっそりと作っているんです。

 ここでは笑いに関する名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 お分かりの通り、笑いに関する名言の定義に「笑いに関係する仕事をした人の名言」が入っています。では、お笑い関係者の中で最も名言が残っている方はどなたでしょうか。少なくとも、現段階では圧倒的にチャップリンです。

 1889年に生まれたチャップリンはサイレント映画時代に名声を博し、亡くなる1977年まで主に映画の世界で活躍したコメディアンでございまして、山高帽をかぶりステッキを持ったチョビ髭の姿は現在でも広く知られております。

 特定の人物の名言を集める場合は、そういう本を探してくるのは通常のやり方です。例えば、「チャップリン名言集」みたいな本を探すのが手っ取り早いですし、普通はそうでもしなければなかなか特定の人物の名言があつまりません。でも、チャップリンは違います。いろんな名言集に、ちょこちょこ収録されている。お笑い関係者としてはかなり異例で、今のところ唯一と言っていい状況です。

 どうしてなのでしょうか。恐らく、チャップリンが生前から世界的に有名なコメディアンであり、未だに知名度の高さが保たれている点が原因でしょう。生前から有名であれば様々なメディアでコメントが記録されますし、没後も生前の言葉を熱心に残す方が世界のどこかにいらっしゃいます。場合によっては名言集に彼の言葉を収録し、後世に伝えようとする方が出てくる。

 また、チャップリンは役者であると同時に、映画の監督や脚本も担当した経験もございまして、これが大きいのではないかと考えられます。監督や脚本をやっていれば、表現力だってついてくる。表現力があれば、他人がなかなか言わないような、それでいて人々の心を掴むような名言だって残しやすくなるでしょう。

 他にもいろいろ理由はあるでしょうが、とにかくチャップリンの名言が割と集まってきたんです。だから、ここらで一気にご紹介してみたいと思ったんです。ちなみに、私はチャップリンに詳しくありませんので、彼の半生はウィキペディアの記述を参考にしています。ご了承くださいませ。

 まずは過去に私のnoteでも扱った名言を3つサラッとご紹介いたします。原出典のあるものは名言に併記しております。

私の扮装のちょびヒゲ、それは虚栄のシンボルであり、きっと上着とダブダブのズボンは、人間の奇妙さ・愚かしさの戯画である。そして寒竹のステッキは、予期もしなかったが、好運にも喜劇的効果をつくり出すのに役立った。
「小さな男」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)

 先ほども書きました、チャップリンの代表的な格好についての言及です。あの有名な扮装は、主にチャップリンの計算によって作られたものではございますけれども、ステッキのように意図しなかったものもあると告白しています。「全部計算なんすよ」と言ったって誰も疑わないでしょうに、そこはちゃんというところにチャップリンの正直さが見て取れます。

人生はクローズアップでみると悲劇だが、ロングショットでみると喜劇だ。

明日が変わる座右の言葉全書(青春出版社、2013)

 チャップリンの名言でも有名なもののようです。短くまとまった言葉でありながら、映画作りに深くかかわったチャップリンならではの視点がある、更に人の共感を呼び、どこか励まされるからではないかと思われます。

 ただ、決してポジティブな言葉だけ残しているわけではありません。

貧乏というものは、けっして魅力的なものでも、教訓的なものでもない。私にとって貧乏は、金持ちや上流階級の優雅さを過大評価することしか教えてくれなかった。
「自叙伝」

世界名言辞典(明治書院、1966)

 幼少期のチャップリンは貧しい生活を余儀なくされていたことが知られておりまして、それを反映した言葉と考えられます。両親の生活態度にも少なからず問題があったこともあってか、貧しかった時代を「あれがあったから今の自分がある」と肯定的にとらえる成功者が多い中で、チャップリンは自叙伝を書くほど成功した頃でもネガティブにとらえていたようです。これもまた正直な気持ちだったのだと思います。

 ここからは初めて扱う名言となります。まずはこちら。

私は庶民の味方だ――そういう人間なんだ。

英語名言集(岩波書店、1993)

 チャップリンはあくまでも庶民に寄り添って映画を制作していたことがうかがえる名言です。その理由には、先ほど触れたような、彼の暗い生い立ちが関係しているのかもしれません。そして、世の中には庶民が多いですから、上記名言のような彼の姿勢が世界的な成功に繋がった可能性は大いに考えられます。

99パーセントまでは努力――1パーセントが才能――この1パーセントがよければうまくいく。

座右の銘 : 信念・勇気・決断-自らの道をひらく(本の泉社、2006)

 エジソンの例の名言を彷彿とさせる言葉です。エジソンの方が40年くらい先輩なので、チャップリンが知っていたとしても不思議ではありません。

 ただ、エジソンは「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉だけが知られている関係で、いろいろ誤解をされてきたとの意見を見かけます。本当は「1%のひらめきがないと99%の努力も無駄になる」という意味で言ったのに「ひらめきは1%だけでよくてやっぱり大切なのは99%の努力だ」と思われがちだ、みたいな主張です。

 どれが事実でどれが誤解なのか、約100年前の偉人の発言ですので調査は容易ではないでしょうが、一方のチャップリンはその辺の誤解をなくした名言になっていると分かります。表現に長けている方の多くは、自分の言いたいことをなるべく正しく伝える能力を持っておりまして、チャップリンもまたそういう方であったんだろうと思わせる言葉です。

 続いてはこちら。

下を向いていたら、虹を見つけることはできない。

人生を動かす 賢者の名言(池田書店、2017)

 虹のお陰でメルヘンな雰囲気の名言ですが、これもまたチャップリンが何を言いたいのかよく分かります。

 「上を向いた方がいいよ」みたいな視点の言葉は、今となってはいろんな人が言いがちです。誰が言い出したのかは知りませんが、現在は特に珍しい考え方ではない。そこへみんなが知っている「虹」を持ってきて、一度聞けば意味が分かる簡潔な言葉にしつつも、地味に誰も言わなそうな形に仕上げているのが上記名言です。平易なのに誰も言っていない言葉を作るのは難しいと思うんですが、チャップリンはその難しいことをやってのけたと言えます。そのお陰もあってか、現在まで伝わっている。

 こんな名言もあります。

人生は欲望だ、意味などどうでもいい。すべての生き物の目的は欲望なのだ。それぞれ欲望があるから、バラはバラらしく花を咲かせたがるし、岩はいつまでも岩らしくありたいと思ってがんばっているんだ。そうだ、人生はすばらしい。恐れの気持ちさえもたなければだ――なによりも大切なのは勇気だ。想像力だ。

座右の銘 : 信念・勇気・決断-自らの道をひらく(本の泉社、2006)

 チャップリンの人生観とも言うべき名言でございます。少なくとも欲望を重視したことは分かります。その人生観がどれだけ反映されたかは分かりませんが、チャップリンはこれまでに4度の結婚をしております。これだけ見ると、必ずしも幸福な人生を歩んだとは思えなさそうですが、実際にそうだったようで、離婚時に訴訟を起こされたことがある他、別の女性から子供の父権認知の訴訟を起こされ、子供の血液型が明らかにおかしかったにもかかわらず養育費を支払う羽目になったとか。

 そんな欲望よりも勇気、そして想像力を重視していたのは、映画を作り続けたチャップリンならではないかと考えられます。ただ、私生活だけでなく、映画作りもまたトラブルに見舞われたことがございます。

一人の殺害は悪漢を生み、百万の殺害は英雄を生む。数量は神聖化する。
「殺人狂時代」

世界名言辞典(明治書院、1966)

 「殺人狂時代」はブラックコメディ映画でございまして、チャップリンは喜劇で親しまれた過去作に比べてシリアスな作品となっています。それは上記名言からも推測できます。

 「殺人狂時代」を制作していた頃は、先ほども触れました父権認知の訴訟があった上、大戦中にソ連を助けるよう訴えるなどの言動が原因でいわゆる「赤狩り」の槍玉にも挙げられていたなど、いくつもの苦難が重なっていました。

私は、ハリウッドが死滅しつつあると断言する。ハリウッドはもはや、なんらかの芸術的意味を持った作品をつくる場所ではなく、ただなんマイルものセルロイド工場にすぎなくなった。

世界名言辞典(明治書院、1966)

 チャップリンに対するバッシングは日増しに激しくなり、映画の上演を阻止しようと脅迫をする団体まで現れ、アメリカでの興行成績は散々なものだったそうです。上記名言は「殺人狂時代」の上演ボイコットに対してイギリス紙に語った言葉とのことです。

 「殺人狂時代」はヨーロッパではそれなりに好評だったようですが、結局チャップリンはアメリカから追放されてしまい、作品が正当に評価されるのは公開から20年以上経った1970年代だったそうです。

もし私の住んでいる国が侵略されたなら、私も他の人びとと同様、立派に犠牲的精神をふるって行動を共にする。しかしながら、なにがなんでも祖国を愛せよというのは、反対せざるを得ない。それはナチズムになれということだ。そのとき私は遠慮なく祖国から出ていくつもりだ。

座右の銘 : 信念・勇気・決断-自らの道をひらく(本の泉社、2006)

 そんなチャップリンの祖国に対する気持ちが上記名言に現れています。祖国は大切だが、時と場合による。そんな感じでしょうか。特にチャップリンは「独裁者」という作品でヒトラーをゴリゴリにいじっておりまして、いわゆる「全体主義」をかなり嫌っていた様子がうかがえます。

 チャップリン祭りも残り少なくなってきました。続いての名言です。

〈自分の作品で最高傑作はどれかと聞かれ〉
次回作だよ。

明日が変わる座右の言葉全書(青春出版社、2013)

 実際の発言は「Next One.」でございまして、「次だよ」といったところでしょうか。非常にシンプルな言葉ですが、彼の映画に対する姿勢があれこれ詰まっている、とても濃い名言です。

 本当に名作が出来るかどうかは誰にも分からない。それはチャップリン自身もよく理解していたはずです。ただ、少なくとも「次も過去最高の作品を作る」との姿勢で制作に挑むことを宣言している。それを、非常に短い言葉で表現したわけです。普段から表現に携わったチャップリンだから残せた言葉でしょう。

 続いてが最後の名言となります。

死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
「ライムライト」

明日が変わる座右の言葉全書(青春出版社、2013)、人生を動かす 賢者の名言(池田書店、2017)

 こういう言葉をサラッと残すんです、チャップリンは。死が避けられないことはみんな何となく知ってますし、その手の名言は「メメント・モリ」を始めとして、昔からそれなりにたくさんございます。でも、そこに「生きること」を持ってこれる人は過去から現在に至るまでほとんどいません。少なくとも、私は今のところチャップリンしか見かけてません。一風、意外な視点にハッとさせられるんですけど、「確かにな」と共感する人は恐らく多い。

 チャップリンが名言を多く残したのは単に有名だったからではなく、映画制作へ熱心に取り組み、その結果として人並外れた表現力を持っていたからではないかと、私は素人なりに思いました。いろいろ大変な目に遭った人生だったとは思いますが、高い表現力を持っていたのは間違いない。名言でもそれが感じ取れた次第です。

◆ 今回の名言が載っていた書籍


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