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生活改善が追い込む一病息災の迷宮
無病息災という言葉があります。病気もなく、健康であることを意味する言葉です。
上記サイトによると出典は「大観本謡曲・寝覚(1546頃)」とあります。調べたら能のようでございまして、作者は不明とのこと。とにかく、少なくとも今から470年以上前には存在していた言葉だと分かります。
そんな歴史ある言葉ですと、後世の人間がもじって使う場合がしばしばございます。無病息災もまた同様で、一病息災という言葉もまた現在、使われています。ちゃんと辞書にも載っている言葉でございまして、もちろんコトバンクにもございます。
意味は「ちょっとくらい持病があったほうが身体を大切にするので、かえって長生きをする」みたいな感じのようです。こちらは出典がハッキリしておりました。遠藤周作の「四十歳の男(1964)」でございます。
遠藤周作は主に小説家として知られ、キリスト教を描いた作品を発表したかと思えば、変な冗談が山盛りのエッセイも書いていた方でございます。一説にはノーベル文学賞までもうちょっとだったとも言われてまして、そういう方だからこそ、先人の言葉をもじった四字熟語が辞書に載ったのでしょう。
もちろん、遠藤周作は誰かの言った「一病息災」を作品に残しただけで、「一病息災」を生み出していない可能性はあります。ただ、一病息災という言葉を作品に載せようと考えるくらいですから、遠藤周作自身も決して健康な人生を歩んできたわけではなく、留学時代には肺結核にかかり、帰国を余儀なくされたこともあったようです。
一病息災がどれだけ事実かどうかは分かりません。世に溢れている他の四字熟語と同じく、「割と当たってるけど、例外もたくさんあるよね」みたいな感じなのかもしれない。ただし、一病息災という考えは、持病を抱える方々を時に慰め、時に励ますであろうことは容易に想像できます。
私もどちらかというと子供の頃からちょこちょこ病気になる人生を歩んでいます。結核みたいに重たいものはありませんけれども、人より欠席日数が多いのを常に気にしていました。他の人に比べて自分は身体が弱いんだと思っていた。ついでに意志も弱いもんですから、バランスのいい食生活も運動の習慣も面倒で取り入れなかった。
病気は嫌ですけど生活習慣は変えないものですから、次々といろんな病気にかかっていくわけです。内科ならここ、耳鼻科ならあそこ、皮膚科なら向こう、などと、子供ながらにいろんな科のかかりつけ医ができあがっていきました。二十歳を超えた辺りでようやく「さすがにこれはダメなんじゃないか」と考え直しまして、生活習慣を少しずつ改めにかかります。自分の意志の弱さを最大限に考慮し、続けられそうな運動や、食べられそうな野菜を選んで、取り入れていく。それを繰り返して現在に至ります。
効果はあったのか。少なくとも学校や仕事は徐々に休まなくなりました。昔から悩まされていた病気もいくつかはほとんど悪さしないようになった。ですから、一病息災が全くのでたらめではないとは思うんです。しかし、「持病があったからむしろ長生きできた」と証明するには、私はまだまだ若すぎます。本当に一病息災なのか知るのは先の話でございます。
ただ、思うんです。先ほども書きました通り、私は病気がちにもかかわらず、運動をしたがりませんでした。それが、そこそこ大人になってから運動をし始めた。
ご存じの通り、人間はある年齢を超えると、身体が少しずつ衰えていきます。体力はなくなるし、病気になりやすくなる。私もそうなっているはずなんですけれども、体力がなくて病気がちなまま生きてきた私が人生の途中で生活改善を始めたもんですから、衰え具合がよく分からなくなってるんです。
検索したら、人間の身体のピークはどの視点から見るかで違ってくるようですが、10代後半から20代前半辺りに来ることが多いようです。その辺りの私は虚弱体質にも関わらずダメな生活習慣でダラダラいっている時期であり、改善を始めたのはそれから少しあとなんです。そして、なまじ生活改善の効果が出てしまったものだから、本来のピークを過ぎた時期の方がいい調子になってしまいました。「身体の衰え」というマイナスを「生活改善」というプラスで打ち消し合ってしまい、全盛期が見えなくなってしまった。ジョギングを1時間やって、家でゴロリ横になり、「ああ疲れたなあ、体力落ちたなあ」と嘆いてみるも、自分が20歳だった頃は10分のジョギングだって耐えられない体力だったんです。私の身体はちゃんと衰えているのか。もう全てがよく分かりません。
「病は気から」と言います通り、身体の状態はしばしば精神状態に引っ張られます。気分の落ち込みが身体の不調に現れる場合が珍しくない。健康な人生を歩んできた方が、ちょっとした身体の衰えにへこんでしまい、体調の悪化に拍車をかける場合もあるのかもしれません。一方、若い頃は貧弱アンド病弱でやってきて、変なタイミングで生活改善を始めた私は、どこがどう衰えているのかイマイチよく分からなくなっているため、その手の落ち込みが今のところはありません。もちろん、着実に衰えてはいるんですが、「まあ昔から衰えてたしな」とか思ってしまう。
だから、私が「一病息災」という言葉を初めて聞いた時、「若い頃に病気がちだった人は変なタイミングで身体の強化を始めてしまうため衰えが分かりづらく、落ち込みづらいから長生きしやすい」のだと思っていました。でも、「一病息災」をどれだけ調べてもそんな意味はありません。
ひょっとして私は変な先駆者になってしまったのでしょうか。喜んでいいのか、落ち込むべきなのか、それすら分かりません。生活改善は私を迷宮に追い込む一方です。