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除籍本の神様

 図書館には貸出禁止の本があるんです。例えば、辞書や事典の類です。この手の本は、調べ物にちょっと使うタイプでございますから、常に図書館に置いておきたい。更に、こういう本は高価ですから、失くされたら堪らない。そんな理由により禁止となっているようです。

 「1日だけなら貸してもいいよ」という本もあります。こちらも、辞書・事典によく見られるタイプです。理由は大体同じだと思われます。辞書・事典の中でもマイナーなもの、つまりそんなに多くの人が使わないと思われるものに多いイメージです。だから、1日貸しでも大丈夫だろうと図書館が判断しているのかもしれません。

 これまでいろんな図書館を訪れましたけれども、そう言えば辞書・事典はどこもかなり充実していました。少なくとも、一般家庭では決して揃えられない規模です。田舎の小さな図書館でも、デカくて厚くて重い事典とかがズラッと並んでいる。この充実したラインナップを頼りに来館する方もいらっしゃるでしょうし、購入費用は税金です。そりゃ簡単に貸し出せないなと思う次第です。

 以前にここで取り上げましたけれども、辞書・事典は本当に様々な種類が存在しています。

 これだけいろいろあると、マニアックな調べ物にもかなり対応してくれることは容易に想像できます。

 例えば、その昔、とある人物を調べようと思ったんです。その業界では有名な方で、世界的な賞も取っている。しかし、業界自体がまだまだマイナーなせいか、ネットで調べてもロクな情報が出てこないんです。名前と、数十文字程度の簡単なプロフィールが出てくればいいほうでした。

 正直「ネットでこれかよ」と絶望しました。どんな情報も網羅しているはずのインターネットでさえプチプロフィールが精々では、これ以上調べようがないなと思ったんです。

 現実に打ちのめされた私は、とりあえず借りていた本を返そうと図書館へ参りますと、何となく「貸出禁止本・一日貸本ゾーン」をうろついていたんです。先ほども書いた通り、こういう本は辞書・事典が多い。本の重厚さが背表紙からでも分かるんです。そんな立派な背表紙を何となく眺めていると、その中にネットで検索してもロクに情報が出なかった業界の事典があったんです。しかも、その業界の人物事典でした。値段も1万円と、本にしては高価な部類です。

 もしやと思ってその本を手に取りまして、中を見てみますと、私が調べていた人物の詳細なプロフィールが載っているではありませんか。こういうマイナーな業界の情報は、多くの人にとって価値を感じられずとも、ごく一部の人には黄金のように感じられる。まさに黄金を見つけた私、小躍りしながらノートにその貴重な情報を殴り書きしました。表紙を見ると「一日貸」のシールが貼ってありました。マイナーな事典である証拠です。

 それからも、そのマイナーな業界の有名人について知る必要がちょこちょこあったため、図書館に出向いては例の事典を開き、メモと小躍りを繰り返していました。本当は借りようかとも思ったんです。でも、翌日に返さなきゃいけないのが面倒でした。せめて2週間借りてじっくりメモりたい。しかし、それはできない。ですから、何かの用事で図書館に行くたび、その事典を引っ張り出して小躍りをしていました。もちろんメモもです。

 ところで、私が通う図書館には、除籍本コーナーがありました。除籍本、すなわち図書館で置かなくなった本を、「よかったら差し上げますよ」と置いてあるコーナーです。もちろん、タダなんですが、タダにはタダの理由がありまして、多くは「タダでもちょっと」と思ってしまう本なんです。長らく本棚に置かれていたのでしょう。ボロボロの本があったかと思えば、印刷の文字が消えかけてる本もある。更に、内容もピンとこないものばかり。「こんな本、誰が借りるんだろ」と思える本もありました。申し訳ないですが、だから除籍されたのだと推測できる本ばかり。私も図書館へ訪れるたびに除籍本コーナーを確認していましたが、本を持って帰ったことはありませんでした。

 そんなある日のことです。いつもの癖で除籍本コーナーを確認してみたら、例のマイナー業界人物事典が置いてあったんです。「えっ、一日貸の本も除籍されるんですか?」との戸惑いから、最初は間違って置かれていると思いました。でも、本を確認すると、ちゃんと除籍の印が押してある。もう、飛び跳ねたくなる衝動を抑えて、本を持ち帰った次第です。

 高価な本とは言え、借りる人がいなかったんでしょう。何しろ、マイナーな業界の人物事典です。しかも、一日貸は地味に面倒です。借りた次の日には返しに行かなければならない。じっくり調べられないから、私も借りなかったんです。

 というか、私がもし小躍りするためにちょこちょこ借りていたら、「意外と借りられてるな」と判断され、除籍本にならなかったかもしれない。いくつもの偶然が重なり、私にとって黄金に等しい本がタダで手に入ってしまいました。神様はいるかもしれないと思ってしまった一瞬です。

 しかし、よくよく考えればちょろい話です。高価な本とは言え1万円。安くはないが、手が出ないほど高いわけでもない。1万円もらっただけで神様を信じていたら、お年玉で1万円をくれた祖父母は神様の中の神様です。

 せめて地球を手中に収めてから神様の存在を信じたい。もっとビックな人間を夢見る私でございます。

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