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40年目の反省リスト(7)1990年

始めに念を押しておくと、この連載はタイトルのとおり、自分の40年間のマンガ家生活の足跡を1年ずつ振り返りつつ、「あそこはなんであんなことしちゃったのか…」と反省するための懺悔録のつもりで書き始めた。決して過去の自分の仕事履歴の自慢するためだけに書いてるわけではない。
ただ、年次で追っかけている関係上、仕事の量が極端に多かったり、今見ると冗談か?と思えるようなスケジュールをこなしていた時期もある。
しかし、そうした期間を経ての、スケジュールガラガラの今なわけだ。
この連載を読んで「自慢ハナにつくわー」とおっしゃる方は、この後の時代背景の流れと、「どんな経緯でコイツの仕事が減ってゆくか?」に注目しながら、引き続きお付き合いいただけたらと思う。

さて、1990年は前回も書いたとおり、バブル全盛期。
私も順調にバブルに便乗して、この年から1992年あたりまでが仕事量のピーク。個人的にこの時期のことを、筒井康隆御大のエッセイ『腹立半分日記』にならって「あらえっさっさの時代」と呼んでいる。

この年後半の連載数を数えたら、いろいろひっくるめて17本あった。
(◎はこの年から開始した仕事)

・東京中日スポーツ(月30本)
・月刊ドラゴンズ(1P)
・まんがスポーツ(月刊・4~7P)
◎まんがパロ野球ニュース(竹書房・月刊・6P)
・問題実話(月刊・2P)
◎みこすり半劇場(ぶんか社・月刊→月2刊・5~8P)
◎小説City(廣済堂出版・月刊・スポーツもの4P)
◎プロ野球TIMES(芳文社・隔月・12本)
◎ヤングコミック(少年画報社・月刊・4P)

以上が野球(スポーツネタ)4コマで、以下はそれ以外。
◎まんがライフデラックス(竹書房・隔月6P)
・まんが笑アップ(4P+4コマ1本)
◎まんが笑アップキャラクター(壱番館書房・隔月4P)
・まんがタイムオリジナル(4P)
・まんがタイムジャンボ(4P)
・まんがハウス(4P)
◎問題実話オリジナル(桃園書房・イラストコラム2P)
◎話のトピックス(桃園書房・イラスト)

月刊OUT、コミックコンプ、あと春に倒産した大陸書房の4コマ雑誌などなどが終了して、入れ替わりに、以前から連載をもらっていた会社から新規の仕事をいただく機会が増えて、仕事量がイッキに倍増した。
特に野球4コマは、竹書房「まんがパロ野球ニュース」の創刊(前年に野球増刊は2回刊行)と、芳文社「プロ野球TIMES」の創刊(隔月)が重なったのが大きかった。

加えて、東京スポーツの岩谷テンホー先生の4コマ再録をメインにしたぶんか社「みこすり半劇場」に、創刊号からお声をかけていただけたのもある。当初はまだ「日本文華社」の社名で、外注の編集プロダクションの製作。
創刊前のある日、編集長さんから電話がかかって来て、「野球ネタで下ネタ描いてください」とドスの効いた声で発注された時はどーしよーかと思ったけど、描きましたよ野球ネタの下ネタ。8ページ。たぶん今なら、コンプラ云々以前に載せらんないと思う。2年くらいで終了して、1992年に「イケイケ課長」(安藤しげき先生の再録メインの隔月誌、のち月刊)に移って芸能ネタ4コマの連載。こっちは1994年9月の休刊号まで。ぶんか社には合わせて丸5年ほどお世話になった。

そんなこんなで、MAXで月100本近く野球4コマを描いていた1990年。
野球4コマという一枚看板ができて、仕事がしやすくなったのは確かながら、その反動から「時事ネタ4コマ描きたい!」と思い始めたのも同時期。
殿様マンガを描かせてもらっていた「まんが笑アップ」の担当編集者さんに、時事ネタ4コマを描けないか相談して、この年の5月から「赤坂六丁目新聞」(赤坂六丁目は編集部の所在地)を始めさせてもらった。ヘッダーの進行役キャラクターの一人喋りと、女の子2人の時事をからめたキャラクター4コマの二段構え。
連載の最中はそれなりにチカラを入れて勉強したり分析したりしてたのだけど、今読み返すと、なんだかSNSで時事を語ってるおじさんみたいな内容で、しかも一人喋りのネタは字ばっかりで読みづらいことこの上ない。
いろんな意味で、ネットの普及してない時代でよかった…とつくづく思う。今はもう、やれって言われたって、怖くてできんわ。

まだいろいろ仕事周辺の思い出話とかも書き残したかったけど、あんまり長すぎるのもアレなので今回はこのへんで。
いずれ書きそびれたエピソードとかはまとめて公開しますね。
(第7回・了)

※今回も有料ラインはございません。次回はなんか有料ネタ準備しよかな。

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