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40年目の反省リスト(9)1992年

「バブル崩壊」の年、1992年である。
昨年に続いて、この年も単行本を2冊上梓した。いずれもみのり書房からで、5月に「プロ野球ギャグ200勝!!」、そして8月に小平小平(こだいらしょうへい)さんとの共著「ワリカン」

「200勝」は、前年の「100連発」の実質的続編。とにかくパロディが徹底的にやりたくて、野球4コマ以外はパロディ書き下ろしギッシリ。トップの2色ページは野球4コマ誌の各先生方の作風パロディで、他は「100連発」に続いてスタジオHEGEのメンバーによる労作。ちなみに今回のヘッダーはその中から、福岡ダイエー門田選手のトトロ見立て(映画ポスターパロ)。

「ワリカン」は、同じ4コママンガ家の小平さんと、ページを半分ずつ担当した構成。印税も半々。私の原稿の初出は、第5回の「コミックコンプ」の所で書いた「飛び出せ!新人くん」。他にも表紙カバー裏に合作ですごろくを作ったり、いろいろ遊んでみた。ただ売れたという話は聞かず、数年後にみのり書房が倒産したと聞いた時は、しばらく気まずかった。
ちなみにこの当時、みのり書房は湯島から上野駅前に会社を移していて、私が2003年に上野へ引っ越した際に元の所在地がどうなってるか確認に行ったら、建物ごと某有名メガネ屋さんになってた。

一方、雑誌連載の方はというと、第7回で書いた「イケイケ課長」(ぶんか社)と、純正競馬雑誌「ザ・競馬」(廣済堂出版)のコラムに添える4コマが新たに追加。
単発では、芳文社が新たに出した「コミック大相撲」(相撲に特化)や「まんがEカップ」(ぶんか社的エッチ系)他に執筆した。
4コマの王道だった芳文社がこうしたファミリー系以外を模索し始めたのを見ると、この時期、4コマ界にもバブル崩壊の影響が出始めてたのか?という気もする。


で、ここからはまぁ雑談なんですが。
実は私、長らく記憶違いをしていて、ずっとこの「バブル崩壊」を1994~5年だと思っていた。そしたら、一昨年見たNHK朝ドラ「ひらり」(本放送が1992年)の再放送の中で思いっきり「バブルが崩壊して…」と言ってるでないの。目どころか顔がテンになった。

この記憶違いは思うに、自分の仕事上の体感を基準にしてたのかなと。
1992年当時の出版界はまだまだ元気持続中の印象で、この時点で悪い話は伝わって来てなかったし、何より羽振りの良い忘年会やら新年会のパーティはずっと継続していたのだ。
なにしろ我々のようなハレの場の少ない職業には、ああいう会場のハレ具合はかなり記憶に強く残る。また、1994年以降に各社一斉にパーティをやめたのも、そう考えた一因であった(一部トップクラスはやってたと思うが)。

これまで「業界人ぶってる」と思われたくなかったので、あまりWeb上で出版社のパーティの思い出話をしなかった。せいぜい師匠のさくまあきら氏の出版パーティの時ぐらいか。
まぁ、そんな話をする機会は、公私共にもう無いと思うから、そこらへんの過去話を有料ゾーンで記憶の限り洗いざらいご披露してみる。読まれて困る悪口は書かないし、元々誰も読んでないから、実名入りでいーやね。大御所話も書いちゃおかな。でも4コマに興味無い人にはオススメしません。登場人物がわからんと思うので。
(第9回・了)

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