見出し画像

012 今を作っているのは過去

昨日は久々の学校訪問。

そこで授業を見せていただいた。
詳細を書くのは控えるが、授業を参観しながら色々と思うことがあった。

1番考えたのは

先生が大事にしていることは何だろう

ということ。
これは聞かれて言語化できる意識的なものだけでなく、言語化できない無意識な部分も含む。この部分は行動や所作に現れる。

どれだけ綺麗な言葉で説明できたとしても、それが自身の行動との整合性が合っていなければ、「言ってることとやってることが違いますやん」状態になる。

昨日の経験を経て、さる先生の言葉?を思い出した。

30代をどう過ごすかで、教師としての在り方が決まる。(こんな感じ)

何を意識し続けているかなんですよね、結局。
何を意識して、どう在りたいと思って、行動に移すか。

同じことをしていても、何も考えずただひたすらに作業的にこなす人と、ここはこうしよう、こういう目的で行おうと意識しながら稽古的に取り組む人では学びの量が違う。成長量が違う。深みが違う。前者は皆無と言っても良い。

もう一つ昨日の参観で考えたこと。

深い学びとは何か。

これは自分としてどう捉えているかという点。
昨日頭の中でぐるぐると考えていたのだが、整理するためにここにも書いてみる。

深い学びを考えるにあたって、まずは3つの視点から学びを捉えることが大切だと思う。

①新規性
あっ!と驚くような気づきや学びとの出会い。これは初め知った・できた・わかったに限らず、やっぱりそうか!といったような再確認も含む。

②継続性
深いということは、元の位置よりも下に進まなければならない。となると、継続して(時間をかけて)学びに向かっていることは必須条件だと考えられる。ここには時間的継続だけでなく、「分かるまでやってやる!」という根気強さも含まれる。

③教科の見方・考え方が生かされているか
学校で行う授業である以上、この視点は外せない。ここの視点がないと、何をしても良いということになってしまい、もはや授業でない。

深い学びについて考える時、「主体的、対話的で深い学び」という3点セットが通例である。
このことを踏まえると、上記3点に加えて、次の2点も視点として考えてもいいかもしれない。

④主体性
「自分でやること決めて、すすんでやります!」という自主性とは異なる。あらかじめ決められた内容であっても、意欲的に取り組むという意味合いが主体性にはある。ここは注意。

⑤対話があるか
対話というのは、1対1で行われるもの。自分と他者、資料、文章など、相手は多岐に渡るが、あくまで1対1対応であるということに留意したい。また、特に相手が他者であれば、相互に関わり合うということに留意すべきである。

以上5点が深い学びの視点だと僕は考える。
また更新されていくかも。

あー…ラーメン食べたい。