コミュニティFMに手を振って 第1話
あらすじ
安原みちるは、子供のころからテレビのアナウンサーになりたかった。
大学のアナ研で活躍し、卒業後はテレビ局に就職…のはずが就職試験は全戦全敗。
親のコネで北海道のラジオ局に就職する。
そこはコミュティFM局。
テレビのアナウンサーになることしか考えていなかったみちるにとって、全く未知数の世界。
やる気のない上司と我が物顔のボランティア、何人聞いているかわからない小さなラジオ局。
明日にでも退職願を出したかったみちるだが、日々格闘する中で少しずつコミュニティFMの魅力もわかってくる。
自分がここにいる意味。それがわかりかけたある日、みちるが働くコミュニティFM局に突然試練が降りかかる。
玄関に郵便物が届く。
「よし」
私は覚悟を決めて玄関へ向かう。それらしき封筒。手に取る前からその中身はわかっていた。そして中身を見てもその予想が覆らない。
「そうなるでしょうね」
安原みちる殿
この度当社の採用試験、ならびに面接に多忙のところご来社いただきありがとうございました。審査の結果、残念ながら今回は不採用とさせていただくことになりました。つきましては、お送りいただいた履歴書を同封いたします。ご査収いただきますよう、よろしくお願いします。
西東京テレビ人事部
午前中、一緒にアナウンス試験を受けた早苗から、最終に残ったとメールが届いた。早苗には電話、自分にはない。この時点で覚悟はしていたが…。私は手帳を開き、西東京テレビの文字を黒く塗り潰す。壁に貼られた「絶対なるぞ!アナウンサー」の手書き色紙が虚しい。
サクラテレビ、日本毎朝テレビ、東京シティTV…。これで16社目の不採用。私は部屋の中で大きなため息をつく。ついたところで何も解決しないため息が、行き場を失ってフワフワと浮いているようだ。
「大きくなったらアナウンサーになりたい」
いつからなのかの記憶もなく、子供の頃からアナウンサーになることに、私は人生の全てを賭けていた。幼稚園のお楽しみ会では司会を名乗り出て、冠婚葬祭でもマイクを見つけると勝手に喋り始め、親戚達から拍手喝采を浴びた子供時代。
「みちるちゃんならアナウンサーになれるよ」
「今のうちサインもらっておこうかしら」
中学、そして高校と放送局に入る。
「みちるはマイクの前に立つと生き生きしているよね」
「きっとアナウンサーが天職だよ」
無責任なオーディエンスからの喝采が続き、私はアナウンサーになるため進学先に青智大学を選ぶ。青智大学のアナウンス研究会は、放送局出身者が多く、アナウンサーになるには近道だ。そう高校2年の時に決断したが、進路指導の先生に「今の成績では無理」と却下される。アナウンサー技術ではなく、学力が足りないから無理というのは納得できない。それからの1年。私は、部活と食事と睡眠以外の時間全てを受験勉強に充てた。
「そこまで勉強しなくても、札幌の私大なら推薦で入れるじゃない」
母親に言われた。私の住む町は札幌まで車で2時間ほどにある北海道の帯城市。札幌の私大に合格するのは、優秀とまではいわないが普通以上な評価にあたる。でも札幌の私大じゃ嫌だ。青智大学に入るのだ。
努力の甲斐あり高3になって成績は上昇気流を描く。そして先生に無理と言われた青智大学に私は現役で合格した。
生まれ育った田舎を飛び出し、東京で一人暮らし。もちろんアナウンス研究会に入会し、校内放送やイベント、動画配信など幅広く活動した。同級生の早苗と愛子、そして私の3人は【青智アナ研・喋女トリオ】と呼ばれメディアでも紹介された。
記事にはモデル体型の早苗に、萌え系の愛子、ショートカットでボーイッシュなみちる。私だけ褒められていないようで気に入らなかったが、掲載後は部室への見学者や合コンの誘いが相次ぎ、それなりに充実した大学キャンパスを過ごした。3年になり、就職活動も本格化。それぞれ目標の就職先へ向けての戦いが始まる。
「みちると同じテレビ局入れたら幸せだな」
アナウンス研究会の同期・黒田京平は、2年前からの恋人。アナ研所属ではあるが、劇団や音楽サークルにも顔を出している。
「俺は裏方の仕事がしたいんだ」
制作会社でバイトをしている京平は、テレビ局への就職を目指している。
「俺がディレクターでみちるがアナウンサー。俺のキューでみちるがニュースを読む番組ができたら最高だよな」
時々知ったかぶりのマスコミ論がハナにつくが、それでも京平と同じテレビ局に就職できたらとは思う。しかし思いが強ければアナウンサーになれるわけではない。北海道の田舎でアナウンサーになりたいと言い続けていたのは私だけかも知れないが、全国各地でアナウンサーを夢見て上京した人は山のように存在する。その高い倍率から勝ち上がるには、大変な道のりが待っていた。アナ研のひとつ先輩からは、東京のテレビ局に2名、大阪のテレビ局とラジオ局に1名、静岡のテレビ局に1名と5名が就職した。私達の同期は6名。そのうち京平ともう一人は、アナウンス部以外の就職先を探しているので、喋女の3人と、黒島という男性の4人がアナウンサーを目指す。過去の実績からみて、選ばなければどこかに引っかかる。先輩からも「みちるは大丈夫だろう」と言われていた。
ところが…。どの局も三次までは通過するが次の壁がこじ開けられない。不採用街道を走る私を尻目に、喋女の愛子が東京キー局から内定をもらい、黒島までもが仙台のテレビ局で内定をもらう。人の感情の半分は僻みでできている。2人が内定をもらってから、早苗と会うことが増えた。
「愛子は男に媚び売るのがうまいから」
「黒島の父親って、仙台で有名な会社の社長なんだって」
お互い励ましあいながら…というか、悪口と傷の舐めあいばかり。そしてお互い心の中で思っていた。
抜け駆けするなよ…と。
ところが東京キー局最後の砦・西東京テレビの最終面接に残ったのは早苗。不採用通知のことをメールすると、早苗からすぐ返信が来た。
「正直自信無かった。面接見てみちるが受かると思ったのに」
勝者のメールだ。敗者が今できることは、速攻メールを削除することだけだ。
「東京中心の発想が日本をおかしくさせているんだよね」
この日の夜、居酒屋で残念会を開いてくれた京平が言う。
「これからは地方の時代だと思うんだ」
京平も一般職で西東京テレビを落とされ、みちる同様東京キー局を全滅した。
「大阪文化放送と中部日本テレビが三次面接まで残った。東京よりそっちの方が魅力感じている」
元々東京志向だったくせに、この嘘つき!
東京が全滅した今、私にも地方局しか残されていない。その後、早苗は西東京テレビの最終面接に合格し、京平は愛知県にある中部日本テレビに一般職として合格。私の元には、20社目の不採用通知が届いた。
放送局のアナウンサー面接は3年生の1月ころより東京から順に始まり、地方各局がそれを追う形で募集する。その募集数は季節が暖かくなるほどにどんどん減少し、夏休みが過ぎると、アナウンサーになる道は数えるほどしか残されていない。
「みちる先輩、コミュニティFMは受けないんですか?」
9月のある日。後輩に声を掛けられた。
「コミュニティFM?」
今まで受けた20社のうち5社はラジオ局。しかしテレビ局では三次、四次まで通るのに対し、ラジオ局は二次以上へ進めなかった。そんな経緯もあり、自分はラジオに向いていない。そう思いこんでいる私の耳にコミュニティFMという聞き慣れない言葉。
「みちる先輩。北海道の帯城市でしたよね?確か帯城にもFM局ありましたよ」
「え、帯城に?」
みちるの生まれ故郷は、北海道の帯城市。東京からは飛行機で2時間。札幌からは電車で2時間。道東と呼ばれる位置にあり、盆地に囲まれていて、夏は暑く冬は寒い。日照率が高い地としても知られている。
「帯城にラジオ、いつから?」
私が聞くと、後輩はスマホを見せてくれる。FMビート。今から18年前に開局した帯城市のラジオ局。
「18年前ってことは私が3歳の頃か。知らなかった」
後輩は、信じられない、とオーバーリアクションをする。
「私、山口県の宇部市出身ですけど、子供の頃から地元のFM聞いてて、高校の時は何度かラジオにも出演しましたよ」
後輩は宇部市のラジオの事や、自分が学生時代に出演した番組の事を喋りだしたが、頭にはほとんど入ってこない。コミュニティFM?アナウンサーになりたいと、話し方やカメラ映りのための練習は数えきれないほどしたが、試験を受けるまで東京のキー局がどこにあるかさえ知らなかった。全国にテレビ局とラジオ局がいくつあるかも知らない。そして…今日初めてコミュニティFMという言葉を聞いた。
この日の夜、京平にコミュニティFMのことを聞いてみた。
「コミュニティFMね。ミニFMと呼ばれることもあるけど、実際ミニFMとコミュニティFMは全く別物なんだ」
コミュニティFMとは、市町村単位で放送する地域単位のラジオ放送。放送事業の規制緩和がもとに開始され、1992年に北海道の函館に1局目が誕生。今では200を超えるコミュニティFM局が全国に存在する。
「そんなにあるんだ。知らなかった」
その後も京平は、無許可で10メートル程度の電波を飛ばせるミニFM局とコミュニティFMの違いを解説。
「ミニFMは、単に趣味の世界。でもコミュティFMは小さいとはいえ立ち上げるのに何千万もかかり、民間放送だから収益を上げないと潰れてしまう。閉局したところも結構あるんだ。みちるだけじゃなくて、自分の街にFM局があることを知らない人も多い。地域密着こそがコミュニティFMに必要なことなのに、その地域の人の認知度が低い。おかしな話だよね」
京平はマスメディアに関することはどんな質問をしても、必ず私が求める以上の答えをくれる。アナ研の中でもマスメディア知識が豊富で通っていたし、そんな京平に魅力を感じていたのが付き合うきっかけだった。もっともこっちが知りたい以上の情報をドヤ顔で話してくる時は腹が立つけど。
「コミュニティFMってところは、新卒社員は募集していないの?」
アナウンサーになりたい。藁にもすがりたい私は、新たに見つけた可能性に期待してみたが、京平は大笑いしてかすかな期待を完全否定する。
「どこも小規模で社員が2.3人ってところばかりなんだ」
中には社員が1人だけという局もあるという。ではどうやって放送を運営していくのか?それはボランティア。地元ボランティアがラジオ番組を担当する。ボランティアだから当然ギャラはゼロ。
「全国の番組聞けるよ、聞いてみる?」
京平は、スマホアプリで日本コミュニティFM協会というサイトを開く。全国各地の番組がリアルタイムで聞けるという。私は後輩が聞いていたという宇部市のコミュニティFMをクリックする。男女2人によるトーク番組。リスナーからのメッセージを紹介し他愛のない世間話が展開される。リスナーのメールを読む時、何度も読み間違え。それが耳障りになる。
「こんなもんだよ」
と、京平が言い、
「まだマシな方だよ」
と、別の局をクリックする。高知、香川、徳島、愛媛、福岡、佐賀、熊本、長崎…。1.2分聞いては別の局をクリックとザッピング状態。その度京平は、「これはきっと社員だな」とか、「これは間違いなくボランティアだね」と解説する。楽しそうな放送もあったが、高校の放送局以下の拙い喋りの番組もあった。男性達が内輪受けで盛り上がっている番組の時は、「こんなの公共の電波で流していいの?」と思わず呟いてしまう。それに対して京平は、「まぁ、コミュニティFMだからね」だと。聞けば聞くほど京平の言うコミュニティFMの意味がわかる。そしてわかった今、さっきの言葉。「コミュニティFMってところは、新卒社員は募集していないの?」は、即撤回。なかったことにした。
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