妥協はあってもいいけど犠牲は伴いたくない
「成功するのに多少の犠牲は伴うもの」
という考え方がある。「そういうものだよ」的な。
(昭和生まれだから?平成令和の生まれの人たちはどうなんだろうか?)
私は前々から、「犠牲が伴うのは仕方ない」という考えは嫌だなと思ってきた。
そして、今朝ふと「妥協はありだけど、犠牲は嫌」と浮かんできたので自分の考えを整理するためにもnoteを書いてみた。
妥協とは
「妥協」というとネガティブなイメージを受けるかもしれない。
私がコーチングを学んだときに衝撃だったのは、
妥協も「自分の選択」だということ。
やらないことを選んでいる=妥協
主体的な選択の1つ
という捉え方に変わった。
当時親との関係が悪かった私は、実家との関係回復を「妥協BOX」に入れた。
「自分がそれを選んでいる」
という意識になることで、
「できない自分を責める」というエネルギー漏れを止めることができた。
そして、私はとても軽やかに元気になった。
そこから、
・今やろうと思えばできることを「未完了BOX」へ
と
・今はやりたくない。やれないと思うものは「妥協BOX」へ
仕分けることで、日々整理された状態にすることができた。
そして、
未完了を完了にすることを積み重ねているうちにエネルギーが蓄えられていき、数年後「妥協BOX」から「親との和解」という項目を取り出して取り組むことができた。
だから、私にとって「妥協」は良いイメージになっている。
犠牲とは
・成功のためなら少々家族との関係が犠牲になっても構わない。
・成功のためなら少々健康が犠牲になっても構わない。
ってやっぱり嫌。やっぱり不自然!
自分にとっての成功が何なのかを自分で定義しておかないと、世の中のいう「成功」という幻想に惑わされて、気づいたときには何か大切なものを損失してしまうかもしれない。
あなたは何を大切にしながら、何を得たいのか?
自分にとっての成功は、自分にしか分からないのだから。
犠牲のない成功を考えたらいい。
あなたは何を大切にしたいのか?そして何を得たいのか?
そこを確認できたら、理想を追求してみよう。
例えば、
・心も体も健やかに成功するって、どういうことだろう?
・家族と円満でいながら成功するって、どういうことだろう?
と自己対話していくということ。
自分と向き合い、自分の答えを見つけてそれを体現していたら
犠牲なんてないはず。
犠牲と思わないはず。
結局、妥協も犠牲も捉え方次第。
自分がどうしたいか。
そこに向き合う生き方をしているかどうかが大事なんだな。
今日は、
妥協はありだけど犠牲は嫌
という私の価値観について書いてみました。
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