やろうと思ってできないことには理由がある


年間で開講しているゼミで先月、「半年間のテーマ設定をしましょう」と伝えて、メンバーに取り組んでいただくワークを用意しようとしました。 

 

これがですね、、、全く進まないんです。 


「明日は、明日こそは・・」

そう思ってやろとするのに、なぜか手が動かない。 

ワークシートなんて、今までたくさん作ってきたし、なんなら解説動画とかテキストをさらりと作ってきたのに。 

今回は、この簡単なワークシートができないのです。 

気づいたら、6月に入っていて、メンバーから「課題って出てます?見落としたかな?」と問い合わせをいただいてしまいました。 


やろうと思っていたことができない


私だけではなく、「やろうと思っているのにできない」ということで悩んだり、課題だと感じている方も多いと思います。

 

クライアントさんとのセッションでも、テーマとして話されることが多いです。


他者のこういう悩みに対して私は、いつもこんな風に捉えています。

「できないということは、やりたくないことなのでは?」

もしくは

「やらないでいいと深いところがわかっていることなのでは?」

と。


そういう視点でお聞きしていると、最終的に「今は、やらなくてよいことだったのだ」と気づかれることが多いのですが。


自分のこととなるとですね・・・

「やるって言ったのに、なぜできないのか?」と問題として捉えて、バツをつけていたのです。 

 

そんな中で今日は、

「やろうと決めたことができないということは、何か理由があるのでは?」

と思えたので、少し自分の内側と向き合ってみました。

 


そしたら、まぁ色々気づきがありまして、最終的にはマルと思えたのです。 

 

今回作りたかった課題は、「半年間のテーマを設定しましょう」という目的のためのワークシート。

そもそも、「テーマって本当に必要?」というところで私に答えが出てなかったので、その先が進まなかったと気づいたのです。

だって、ワークシートを課題として与えるということは、「テーマは設定すべきもの」という前提がありますよね。 


「半年間何かテーマを決めて、目標をはっきりさせて取り組む」

というのも大事かもしれませんが、

「テーマも目標も決めないで、その日その日を大切に過ごす。」

というのも同じくらい価値あることですよね。


ここに私自身別に答えを持っているわけではないので、前提ありきの課題は出せなかったのだなと思ったのです。


ということで、ゼミメンバーには、こういう課題を出そうと思います。


◯と思える半年間を過ごすために、半年間は〇〇をテーマにして生きる。という目的の設定や、半年後に〇〇な結果を出す。という目標設定は必要か?
という問いについて、あなたの考えをアウトプットしてください。

と。


ということで、

・やろうと思ってもできないことはやらないでいいこと

・答えありきのリードをしなくてもいい(ディスカッションすればいい)

というのが、今日の私自身の気づきと結論となりました。


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