無意識で「正論」言っていないかな?
「正論ってキツイ」
先日、そう感じる場面があって、それを率直にフィードバックし合うことができた。
私自身も、無意識で正論を言っている(に違いない)。
これまでも沢山言ってきた(に違いない)。
人は無意識で正論を伝えているから、自分1人だとなかなか気づけない。
でも、誰かが正論を言っている時に、言われた側の様子がキツそうに見えたり。
もしくは、自分自身が正論を言われてキツイなと感じた時。
それをスルーしないで、しっかり「あったこと」と捉えることができると、自分の中にある「正論を言いたい自分」の存在も理解できるようになる。
先日の「正論は伝わらない」と伝えた日以来、自分の中で「正論」を言っていないだろうか?と気にかけるようになった。
意識していると、自分の中にいる「正しさを伝えようとしている自分」に伝える前に気づくことができるようになる。
あ〜、こんなにも正論を言おうとしているのかと気づいて、ふっとその欲を手放してみる。
正論を言おうとしている自分を一旦置いて、相手の正しさを理解しようとし見る。そして、一旦受け入れてみる。
そんなことを意識した1週間だった。
正論とは何か?
正論って、その人の中での正解。
だから、伝えたいと思うのは当然。
人は自分の中でいいと思ったことを教えたいから。
ところが、なぜ伝えられた側はキツイと感じるのか?というと、
ある人にとっての正解が、相手にとっての正解とは限らないから。
人は肯定されたい存在。
だから、たとえ間違っていたとしても「それは間違っている」という正論で否定されたくないのだ。
間違っていると受け入れるためには、その前に「それでもいいよ」という肯定が必要。
それで、安心して心が開かれる。
それで、ようやく相手の正解に耳を傾けられるのだ。
間違っていてもいい。
その選択をしたのにも理由があるのだ。
そう理解した上で、「私にとってはこれが良かったけど、選択肢としてどううかな。」とシェアする。
私はそんなスタンスを大切にしたいな〜。
大切なあり方を学ばせていただいている大久保寛司さんのインタビュー動画
オススメです。