乳と卵
「厭」
嫌、厭、生きていると厭なこと訳わからんことたくさんある。染色体が一つ違うだけでこんなにも体が違うの。股間を蹴られた時の痛みは私には分からないし、生理のことは彼には分からない。分からないからもどかしい。この事に限らずあたなの考えていることはよく分からない、何が言いたいのか分からないとよく言われるような私。私だってよく分からない、こんなこと考える方がおかしいとか、間違ってるとか、正しくないとか。だけど考えてしまうんよね。
巻子と緑子が玉子をぶつけて、心の言葉をぶつけているシーン。賞味期限が近い玉子を消費しているシーン。私の玉子を使って親子を確かめているシーン。いいでしょ、どうせ賞味期限までに使い切れないのだからこんな風に使ってもいいでしょ?って私の玉子なのに、私の玉子なのに、と、思った。
このシーンは生理を表現しているのだと思った。
使わなかった、玉子、卵、卵子、を消費して、使って、出してぐちゃぐちゃになって、そうか使わないとこうなるのかって。当たり前のように。
なんだがすごく切なくなった。悲しくなった。女性として産まれて母になる自分を考える。それだけで厭になる。今は、そう思う。
文章に「。」が少なくて、吸い込まれるように息づぎがうまくできないまま読みました。すごく魅力的でした。