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手帳と本音、死なない理由。

 知ってる人は知っている。知らない人は覚えなくてもいいけど、今から綴るどうしようもない話に付き合ってくれればいい。多分、この先絶対に形に残るようなモノを仕立てるつもりはないから。

 マサラタウンにさよならバイバイして早幾年。カレンダーはそろそろ腱鞘炎を起こしそうなぐらいにくるくる回った頃合いだろうか。暦を一回りしても、AIがいくら進歩しようと詰襟を着ていた自分の記憶は未だにセピアかモノクロのまま。鈍色の空に覆われたフィルムは色付けのしようがないくらいには腐り散らかしている。左手で赤旗を上げたとて、マルクスの意志を頸動脈の切断とともに葬ったとて血の色は恐らくは「黒」として表現されるような、そんな世界だった。重ねるのはミルフィーユでいいのだが、一つ一つの層に怨念なんて言葉で片付けてはいけないような禍々しきパイシートを重ね続けてた結果はメンタルではなく最終フィジカルにとんでもない爪痕を残すことなど誰が予想し得たか。もはや本人は蚊帳の外である。
 出来るだけ形に残らないように、沈ませ溶かすように全てを人の記憶という曖昧なメディアの中で泳がせることで守ってきたものがあったような気がした。自身の手を下すまでもなく「伴侶と死別した可哀想な自分は一生懸命子育てをし、立派に育て上げる使命がある」とかいう昼ドラでも扱わないようなクソみたいなテーマのツール、駒としての存在価値しか無いような自分にとって与えられ役割(ロール)を演じ切ることで保身につながることを本能的に汲み取らざるを得ないような状況にいると人間…いや、「魂のないヒトモドキ」が作り上げられる。
 リベレーターを握りしめ、出来る最大限の抵抗をすることで自我をようやく保っていたらしい。7.62mmで受けた拷問の後に残るのは空の容器に入るはずだった自尊心と人間らしさだろうか。未だに直接手を下さない理由として挙げよう何かに、母から受け継いだ慈愛の心がどうしようもないくらいクソ不味いサービスエリアのラーメンに添えられたチャーシューの薄さぐらいにDNAに刻まれていたんだろう。殺された母には感謝している。体組成の70%は母親から引き継ぐらしい。捨てる必要がないのだと、ようやく理解するのに30年以上の時を費やした。

 ネタにして昇華してしまえばある程度気が楽になるだろう。そして過度に気を使われることもなくなる。まぁそんな気を底から回してくれるような人間など居ないが、表面的に気遣われたところでお互い面倒だからそうしてるだけだ。本音を言えば好きでこうなったわけじゃない。水戸黄門の印籠よろしく差し出す手帳に何の意味があるかと言われれば別にない。こんなもん、欲しくて手にしたわけじゃない。新幹線の運賃半額になったところでどうだってんだ。事故物件の烙印、確固たる証拠であると生傷を抉り散らかして塩を塗りたくってるようなもんとしか思えない。被害者ぶるわけじゃないが、普通に生きてりゃこうはならん。なら捨てればいい?それも違う。
 無為と無常、不条理の中でまだこんなところに留まっている理由は「まだ早い」と向こうの世界から言われているからなんだろう。少なくとも後8年はなんとしてこの世に留まろうと思う。そこから先はもう知らん。好きで生きてるわけじゃないからどうとでもなればいい。自分の中で其の任を全うすることだけ考えているが、そこから先の景色など其の時にしかわからないから。「生きる理由」なんて高尚なモノではなく、ただ「死なない理由」がそこにあるだけ。多分コレが何かしらのキッカケや変革で生きる理由に変わることがあれば少しは自分を大事にするのかもしれないが、死なない理由の中に「復讐の灯」がいつまでもある限りそれはないだろう。完璧主義者に対する最大限の抵抗と復讐は「頭がいいのに身体も人格も、何もかも人ひとりマトモに育てられなかったクソ野郎」であることを証明すること。即ち、心臓に爆弾を抱えたまま醜くもこの世にしがみつく事。死なない理由も、ここまで来るとアホらしくもあるが「それしか方法を知り得ない」状況では表立って「美味いメシと酒のために生きてる」なんてそう易々と口にできない。明確な殺意を嘲笑に。それこそが今いる必要もないであろうこの世にいる理由なのかもしれない。
 「歳かな…ちょっと疲れた。」

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なんとまぁ難儀な話。
別に何があったわけでもないが、少し疲れたから筆を進めてみた。
「止まない雨はない」じゃなくて今降ってる雨に耐えられねーんだよ。まぁお前ら俺に興味ないからわかんねーだろうけどさ。

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