Lin

限界界隈に巣食う三十路バーテンダーの脳内と、鬱憤を晴らす掃き溜め。今日もアル中カラカラして優勝。バーテンダーがモテると思ってるそこの君!残念ながらモテないぞ。思うままに、綴ります。

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限界界隈に巣食う三十路バーテンダーの脳内と、鬱憤を晴らす掃き溜め。今日もアル中カラカラして優勝。バーテンダーがモテると思ってるそこの君!残念ながらモテないぞ。思うままに、綴ります。

最近の記事

チョコレートの箱を開ける時の期待感って、食べるまで続くのか?

 2023年、令和という呼称も5回を数えたこの年を一言で振り返るなら「近年稀に見る苦行」であったことは間違いない。なんだかボジョレーの出来を表すようなワードの組み合わせになってしまうのはいささか悔しさも覚えるが、実際そう感じたんだから仕方ないとしか。平穏とは何か、幸せとは何か、そしてこの先どのように生き方を固めていくのか。それらを苦しみもがく中で解いていく作業だったのかもしれない。 1.終わりの始まり  今年こそはいい年にしたい、と願ったのは数えで35回目になるだろうか?新

    • 手帳と本音、死なない理由。

       知ってる人は知っている。知らない人は覚えなくてもいいけど、今から綴るどうしようもない話に付き合ってくれればいい。多分、この先絶対に形に残るようなモノを仕立てるつもりはないから。  マサラタウンにさよならバイバイして早幾年。カレンダーはそろそろ腱鞘炎を起こしそうなぐらいにくるくる回った頃合いだろうか。暦を一回りしても、AIがいくら進歩しようと詰襟を着ていた自分の記憶は未だにセピアかモノクロのまま。鈍色の空に覆われたフィルムは色付けのしようがないくらいには腐り散らかしている。

      • 福音の鐘の音はいらない。玉音放送を流してくれ。

         西宮が舞台の学園SFモノじゃないけど、本当にアイスピックで小突いたら真っ二つになりそうなぐらいの気温になりいよいよ年の瀬を感じるのだが特段これと言って何かに迫られている感じはしない。自分の中でひとつ片付いたことがあったからなのだろうがもうひとつ近々でなんとかしないといけない問題に関しては半分運任せなところがありいささか安心して年を越せる準備はできていないのが実情である。なんとも世知辛く苦労をする年になってしまった。おそらく来年も多少の余波が残ることは否めないがそれもそれで人

        • 小売の棚卸って面倒だけど、自分の棚卸しはたまにやった方がいい

           私事ではあるが人生初の入院というものを経験している。今、現在進行形で。何より驚いたのはこの病院メシが美味いことであり、味噌汁にはしっかり味がありいつぞやの昼食にはトンカツの卵綴じなんてもんが出てきて白飯の上にオンしてかっこんでしまうような一コマも見られた。  ほぼ何もしなくていい環境下で、自分が成すべきことは何かを問うて見たものの春風亭一之輔の子別れを聞いちまえばもうそんなものはどうでも良くなり大義なんてもんは仕事を休む口実さえあればよくて上司から電話がかかってくるだけで血

        • チョコレートの箱を開ける時の期待感って、食べるまで続くのか?

        • 手帳と本音、死なない理由。

        • 福音の鐘の音はいらない。玉音放送を流してくれ。

        • 小売の棚卸って面倒だけど、自分の棚卸しはたまにやった方がいい

          原動力はそれ全てがポジティブなモノであるとは限らない

           何を当たり前のことを言ってんだお前。と思われた方がほとんどだろう。楽しいからやるとか、達成感がとか前向きな理由だけでどんな形であれモノを産み出すことはできないことくらいこんなよくわからん文章を拝読頂いている奇特な方々であればご存知だろうし、自分の経験からもそうであると言えるのだ。  前向きにモノを作ることができればそれに越したことはないだろうが失敗から生まれた傑作があることもまた事実である。ポストイットしかりバーボンしかりと、色々なモノがあるわけだ。自身の経験で言えば、病み

          原動力はそれ全てがポジティブなモノであるとは限らない

          思い出補正が織りなす幻想と、残酷な現実を受け入れる時

           今日の糧に困窮し、明日の食べ物に憂う程の環境にいないからこんな風に思うんだろうなと。ふと思ってしまったことがあった。視神経を刺激した先にある脳が認識した現実を同じくその脳内へ記憶として蓄積するプロセスをいちいち語るまでも無いが、一般的に言われているデジタル保存とは違い人間の場合は曲解や補正が入ってしまうのは周知の事実である。今日はそんな話をしようと思う。  リアルに私のことを知っている人間からすれば今更だが、私はラーメンが好きだ。ラーメンの為に他府県まで遠征し職人が手掛け

          思い出補正が織りなす幻想と、残酷な現実を受け入れる時

          「3月のすき焼き」

           卒業シーズン、緩む西高東低の気圧配置、少しずつ長くなる日の入時間… 3月の季語を探せば週刊誌ぐらいの厚さにはなりそうなもんたが、自分にとっては1年の25%をもう消化しようとしつつあることへの焦燥感や恐怖もさることながらほんの少しだけ思い出すことがある。 純粋な山なし、オチなし、意味無しの雑筆であることはご承知おきいただいているであろうところだが、今回は特にその傾向が強いことを先にお断りしておく。  日本一でかい水溜まりの辺に生を受けた私はひどいアレルギー性鼻炎を患っており

          「3月のすき焼き」

          世界一無駄な会話は世界一有意義な時間へと昇華する

           誰しも何かしら心地いいものだったり、リラックスできる空間だったりはたまた精神安定剤のようなモノがあると思うけど自分にとってのそれを一つ挙げるなら「趣味やら思考パターンが似通った人間との死ぬほどくっだらねー会話」だったりする。酒でもクルマでもブラックジョークでもネットミームでもなんでもいい。シュールさという隠し味が効いた会話は特に自分好みで、その手の会話を一生続けてられるぐらいの友人が幸いにもいてくれるおかげで今日も今日とて生きながらえているわけだが、そのことに気付いたのは3

          世界一無駄な会話は世界一有意義な時間へと昇華する

          マルーンへの憧れ

           ブランドというのは恐ろしいもので ・持っている ・身につけている ・所属している だけでステータスアップさせてくれる、ある意味魔法のような詐欺。尤も、帰属している人間自身に見合ってない場合はその限りではないが年収1000万を可処分所得だと勘違いするような知能指数の低い一部のバカを騙すぐらいなら容易いものだろう。  正直なところ、ブランドというのは厄介で何歳ぐらいにはこれくらいのブランドの財布を…みたいな風潮に私はただならぬ嫌悪感を覚えている。上に記した通りの判断材料とされ

          マルーンへの憧れ

          月が綺麗でも星が綺麗でも、何も言わない方がいい

           軽く散歩に出かけたらえらく潮位が上がっていることに気づき、ふと空を見上げるとまんまるのお月様が顔を覗かせていた。 あんなもんがデカく見えるだけで引力が多少変わって水位が上がるんだから物理法則はスケールがでかいんだなぁと思いつつも、満月と満開に咲いた桜を見ながら独りでこれらを楽しむだけの余裕なんてのは正直言ってどこにもなく、只々ルーティーンをこなしていく3月の終わりの夜に吹く風は汗だくになった身体を適度にクールダウンさせるくらいには気持ちの良いものであった。  「石に枕し流

          月が綺麗でも星が綺麗でも、何も言わない方がいい

          見返りを求めるからしんどいだけで、求めなければノーダメージ

           それができればなんの苦労もないのは九九の答えが不変であるぐらいの話ではあるものの、実際問題解決までとなればそうもいかないのはもはや常識ではないかと思うレベルだがコミュニケーションと同じように万人に当てはまる解答などこの世に存在せずあるとすれば汎用性の高いありきたりなパーソナライズぐらいなものである。  好きで1人でいるわけでもなく、強制されているわけでもない人間が1人でいる理由は様々であると推測されるものの元を辿り意味を還元していけば本質的には大した差はないのでは?と思うよ

          見返りを求めるからしんどいだけで、求めなければノーダメージ

          劣等種のひとりごと

           生物学的の世界において、子孫を残せないものは淘汰され朽ち果てていくのが通説でありそれは世界の常識としても認知されているだろう。強い種が生き残り、繁栄しまた新たな強い種が出てきて…の繰り返しで世界は回っていくことは本能が知りうるところであり遺伝子に刻まれた言わば宿命のようなもの。  それができない種は劣等種としてみなされ静かに渡世の幕引きを待つだけになるわけだ。動物の世界はそうやって今日も飽きずにぐるぐる回っているが、人間の世界はどうだろう?生涯未婚率が昇り龍の如き上昇率を

          劣等種のひとりごと

          需要なんて産まれた時からありませんでしたが、何か?

           自分がいかに無価値でどうしようもなくて何の役にも立たない人間であるかというような刷り込みをされ希望に溢れていた(半分幻想入ってる)10代の殆どを日陰どころか陽の光もないようなところで過ごし、どうにか無理矢理こじ開けて太陽の下に出てみたはいいけどいつも燦々と輝いていると思い込んでいた幻想を曇り空にぶち破られた20代は人並みになろうと必死になっていたものの土台の違いを痛感し、そんな幸せすら手に入れられないのかともがき苦しみ続けていた。人間だもの、羨ましくもなるしねたむことたって

          需要なんて産まれた時からありませんでしたが、何か?

          空気がないと死ぬんじゃなくて、酸素がないから死ぬだけの話

          当たり前のことほど当たり前じゃなく、失ってからその大切さに気付くというのは何処の世界でもある話でそれを題材にした教訓じみた話は石を投げればいくらでもあたるレベルで転がっている。蛇口をひねれば水が出るなんて普遍さも一つボタンを掛け違えれば当たり前でなくなってしまうことは災害大国日本に於いては各個人がしっかりと認識すべきところだろうが、仕事でもないのに人間そうそう年がら年中防災を意識し続けるのも難しい。ある意味致し方ないことだろうと思う。  特に自身の経験で防災意識を高められる

          空気がないと死ぬんじゃなくて、酸素がないから死ぬだけの話

          There is no human rights in Japan If you're ugly.

          ※カクテルレベル2はどこ行った?ってのは一旦なしでお願いします。いやちょっと色々あってそれどころじゃなかったんだよ。先にそっち書けって言われても緊急事態宣言解除されそうなのでどうしたもんかねぇ。まぁ気が向いたら書きます。 こと、現代の日本に於いて顕著であるなぁと感じることがある。  色々制限された日常を送らざるを得ないため忘れられそうなものだが、満員電車通勤の不毛さや新しい時間の使い方をしていく中でもしかしたら少しばかり救われたのかもしれない事象がいくつかある。タイトルにも

          There is no human rights in Japan If you're ugly.

          チューハイに飽きた!カクテル作るぅ!と意気込んだ人向けの何か〜レシピ編 Lv.1〜

          ※酒は「嗜好品」です。提示するのはあくまで一例です。好きなようにやってどうぞ。 某女史に「お酒が苦手な女の子向けのレシピ開発しよーよー!」と言われたのだが、そもそも女の子向けのレシピってなんだ?と、ぶっちゃけなってる。 甘くて可愛くて飲みやすいやつ!とか 見た目が綺麗なやつ!とか になるんだろうか? 如何に普段その場のノリだけで酒作ってるかがよくわかる。 さて、前の記事にて簡単の定義とレベリングをしたけど念のためおさらいしておこう。 「家でできる」「まぜるだ

          チューハイに飽きた!カクテル作るぅ!と意気込んだ人向けの何か〜レシピ編 Lv.1〜