マルーンへの憧れ
ブランドというのは恐ろしいもので
・持っている
・身につけている
・所属している
だけでステータスアップさせてくれる、ある意味魔法のような詐欺。尤も、帰属している人間自身に見合ってない場合はその限りではないが年収1000万を可処分所得だと勘違いするような知能指数の低い一部のバカを騙すぐらいなら容易いものだろう。
正直なところ、ブランドというのは厄介で何歳ぐらいにはこれくらいのブランドの財布を…みたいな風潮に私はただならぬ嫌悪感を覚えている。上に記した通りの判断材料とされることへのヘイトであるが、平たく言えばそんなに収入がないことの裏返しでもある。ほっとけ。負け犬の遠吠えなのは自覚してるよ。
とまぁ、この様にブランドイメージだの何だのっていうのは私にはあまり縁のない話で。服はファストファッション上等。時計は安物。Apple WatchもSeries 6ではなくSE。靴も基本ノーブランドの機能性とコストパフォーマンスを最大限重視したチョイスで生きてきた。それ自体を持つ事の意味やステータスに全くと言っていい、魅力を感じなかったのもあるがそれ以上に自信の無さを体現していたのかもしれない。ひねくれ根性もここまで来ると一芸のような気がするが、一体どこにそんな需要があるんだと聞かれるとちょうど明日は燃えるゴミの日なので捨ててしまおうかと言わんばかりである。
-閑話休題
そんな私だが、唯一こだわったと言うかまぁそんな感じのモノがある。居住地とそこに通る鉄道会社だ。百年以上も前にミミズ電車と揶揄され、阪神間をまっすぐ打ち抜くような線路を「綺麗で早うてガラ空きで、眺めの良い涼しい電車」とおそらく日本初であろう自虐広告を打ち沿線の住宅開発にとどまらず終点にレジャーランドを開設し阪神間モダニズムを語る時に外すことのできない企業…
「阪急電鉄」である。
輝くマルーンの車体に、車内は木目で統一されシートはグリーンオリーブ色をしたアンゴラヤギのモケット…伝統を今でも頑なに守り続けるだけでなく沿線から漂うハイソ感に落ち着いた雰囲気。どことは言わないが令和になっても優先座席にアサヒスーパードライのロング缶が転がるみなさまの足とは大違いである。
え?結局グループ企業になっただろって?まぁそう言うな。
産まれは私鉄と言っても車体は白か黄色でも経営は真っ赤っ赤な路線しかなく、そんなアカデミックな経営とは程遠い状態で典型的な地方私鉄の様相を呈していた。JRにひたすらしばかれまくってる状態なのは明白で、新快速を前にして申し訳なさそうに走っている。余談だが、東海道新幹線が開通した時に鈴鹿山系の景観を壊されたと国鉄を相手取り訴訟。賠償金で踏切の整備をしたのは有名な話だ。
かくして、その沿線の魅力と言うか雰囲気というかなんというか見えにくい部分に魅了されて今の居住地を選んだ感は否めないがまぁ今いるところがバミューダトライアングルの渦中というかなんというかDeepな下町感が否めない、そういう場所にいる。
右向けば焼き鳥屋、左向けば中華料理屋、後ろ向けばスナック、前向けば角打ちみたいな土地なので友人に言わせると「馴染みすぎ」だそうで挙げ句の果てには「オッサンが一人で飲んで一人で果てて逝く街」だそうで早く脱出して欲しいんだとか。確かにこのままだとそうなるだろうと想像に難くないが、どういうわけか何処にいてもそうなりそうなのは気のせいなんだろうか。
まぁ、小生の行末はさておきマルーンに魅せられドヤ顔で「阪急沿い」というブランドを手に入れたわけだが。どうだろう、阪急沿いというのは紛れもない事実であり部屋のベランダからはいつでもあの憧れのマルーンカラーを嫌というほど拝むことができる眺望を手に入れたのは紛れもない事実であるものの住んでみてわかったのは「まぁ、こんなもんか」と言う特段どうでもいい結果だけだった。
ブランドというのは持ってみて初めてわかる価値があるのだという。世界の名だたるハイブランドもその良さは所持して初めてわかるものも少なくはないと何処かで小耳に挟んだが、持ったことがないのでわからない。それ自体に価値があっても、所有者の品格が上がるわけではないというのはどうやら「阪急沿線」にも通ずるのかもしれない。
…と言うか、春日野道だからなんだけどね。
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ディス イズ カスガノクオリティ
ここでなければならない理由がいよいよ消え行く中、ここに居る理由はなんだろうと考えた時に阪急沿線を選んだ理由を何処かで正当化したかったんだろう。
留まる理由もなければ、離れる理由もない。
そろそろ潮時か。
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